文化は、時として不思議な伝播の仕方をする事がある。ある地方で新しい文化や習慣が生まれ、それが数量的に
一定のレベルに達した時に、緑もゆかりもない遠く離れた土地で、同時多発的に同じ事が伝わる。まるで空気を通
じてでもいるかのように。この「百一匹の猿」といわれる、有名なたとえが生まれたのが、石波湾に浮かぶ幸島。
亜熱帯植物と温帯植物が豊かに混生する周囲3.5キロの小さな島に、百余匹のニホンザルがくらしている。地元
の人々は、この猿たちを古くから「和子様」と呼び、神の使いとして守ってきた。
 芋や麦を海水で洗い、味付けをして食べる「文化猿」が始めて出現したのは、1953年。後に「イモ」と呼ば
れる事になる若い雌猿が、その創始だった。
 京都大学今西錦司教授チ−ムの研究で、世界的にて知られるその行動は、まず彼女(イモ)の兄弟姉妹や親、親
戚に広がり、やがて他の群でも同じ事をするものが現れた。そして、ちょうど幸島で百匹目の猿が芋を洗い始めた
とき、全国各地に同じ行動をする猿が出現したと言う。百匹目の猿は、どんな不思議なメッセ−ジを風に託して、
全国の猿たちに送ったのだろうか?
 すべての猿に名前をつけ、戸籍を作り、縁籍関係を調べ上げることから始まった今西チ−ムの研究は、猿の群に
寄り添うように密着して行うものだが、同時に人間からの干渉を極力避けることが、目標に置かれた。また、島に
渡る人は、食べ物を持ち込むことを禁じられている。そのおかげで、幸島の猿は人間をあまりかまわない。よほど
猿を驚かすようなことをしないかぎり、猿の方からちょっかいをだしてくることは、ない。だから安心して観察す
ることが出来る。
 岩の上で陽を浴びながら、毛ずくろいをする家族、亜熱帯植物の葉の隙間から顔をのぞかせる子猿、海の方を向
いて、遙かな思いをめぐらせているようにも見える老いた猿。幸せの島と呼ばれるこの楽園で、あるがままに暮ら
す彼らの間に、新たな文化をもたらす「一匹目の猿」が生まれているのかもしれない。