03/01/01~03/06/20
ごみ問題その後…(2003/06/20)
SARS流行の地を思う(2003/06/04)
人のふり見て我がふり直せ(2003/05/31)
自己本位な行動(2003/05/14)
人を惹きつけることについて(2003/04/03)
魂の目的に沿う行動・・・(2003/04/02)
世の関心・ピースアクション(2003/03/23)
世界に一つだけの花(2003/03/12)
被害者意識(2003/02/07)
直観を行動にする(2003/01/31)
一年の計は・・・(2003/01/01)
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先月のまいるうむのメッセージでは、私の住む近隣のゴミ集積場所で、
ゴミ出しのルールを守らない人が多く、腹立たしい思いをしている旨書いた。
ゴミの収集日の朝に出すということを守らずに出す人がいて、それも事業用のゴミを大量に…
そういう人が一人でもルールを無視してゴミを出せば、それに伴って他の人も同じ事をする。
こうしてルール無視のゴミ収集場所になる。
大量の事業系ゴミ・飲食店の残飯(ちなみにこれら両方とも腐るものなのです。)がルールを無視して置かれる。
その置かれる場所は、そう、道路に面する我が家の塀のきわなのである。
だんだん外気温も温かくなれば、それら出されたゴミは悪臭を放つことになる。一番困ったのは我が家であるのです。
それにどういったわけか、この時期のゴミ収集時間が遅く、昼過ぎまでその場所に放置されることもしばしば。
例えば木曜日に朝に燃えるゴミの収集があるとすれば、水曜日の昼には大量に出されているのである。このようにルール無視のゴミもエスカレートしてくるわと。
私の家の置かれている現状、ゴミ出しの無法ぶり等々私は役所に相談しました。
対応は清掃事務所でしたが、「今は色々と人と人との関係が難しい世の中なので、直接そのルール無視のゴミを出している人へは抗議などをしない方がいい」とのことでした。清掃事務所のほうで、ゴミ出しのルールを守るように注意喚起の張り紙をしてもらったりしましたが、その人たちは今までと同じようにルールを無視して出し続けます。
ついには、清掃事務所の職員がそれぞれの家を訪問して直接指導するということまで行ったのですが、「自分は出していない!」といったそうで。状況は変わりません。
それではと、私はゴミ集積場所の撤去を求めました。清掃事務所や役所の清掃事業を管轄する部署の人もその状況では訴える根拠は十分にあるという意見でした。
そして、この場所にゴミを出している全ての世帯を対象にある日の朝集合するようにとの旨の張り紙が出されました。
その当日、当然私もその集まりにに参加しました。
「いままでこの場所でお世話になっておりましたが、この度事情により集積所を撤去することとなりました。」と清掃事務所職員。「そこで今度はどこの場所にするかというお話になるのですが…」
一同ざわざわとどよめきます。(自分の家の前にでも移されることになったらさぁ大変と…)
「あそこがいいのでは?」「ここがいいのでは?」といくつか意見が出た時、清掃事務所の職員がつづけてこう言います。
「これからは自分の出すゴミには自分自身が責任を持つということで、それぞれの家を個別回収させていただこうと思うんです。」
集まった人の大半は「それがいいわ」と納得の声が。
しかし、いままでルールを無視して残飯などを出していた飲食店店主は「それじゃ困る!うちは店をやっていてその前にゴミなんか出しておけるわけない」とさらに、「ゴミ収集の時間が遅いからそれが問題だ!」と言い出す始末。
そういう人に限ってこうなんだよな…と正直私は腹立たしい気分でいたけけど、彼に対する人々の目は冷ややかでした。
自分のことしか考えていない。いままで、そうやってルールを無視して自分のところの不要な残飯を他人の家の前に置くことについて他人のこうむる不快な思いや迷惑については何にも考えていないのですから。
まさに自分さえよければ他人はどうなってもいい精神。
それでも、個別収集ということに決定されました。
多くの人達は、いままで長い間場所を使わせてもらってありがとうと声をかけてくれました。
家のものが後日、近所の人と会った時には、ゴミの話がでて、「なんなの!?あのひとのあの言いぐさ」と飲食店店主のことをバッシングする人がほとんどだったと聞きました。
近所にも出前をするような飲食店をしているのですから、自らのクビを締めることになるのは自分の行いなのに…と冷静に思ったこの一件でした。
うちように困っているいえももしかしたら多いのでは?
一度役所に相談すると良いでしょう。
ちなみに今はそれぞれの家庭から出るゴミの量が大変少なくなっているというのが現状です。
自分の家の出すものに責任を持つのは当然のことなのだけど、ゴミの量が減るという思わぬ副産がでたのはおもしろいですね。
自分の家の前は汚くしたくないという心理がそうさせるのか?自分ちじゃないからどうでもいいとぼんぼんと放るのか?
はてさて…
ゴミ問題はどこの自治体でも深刻な問題になっています。
決められた場所に正しいルールを持って!というのはあるいみ正論でしょう。
でも個別収集ではいろいろな心理効果も相まってゴミの量が減るというのは盲点ではないでしょうか?
あなたはどう思いますか?
(2003/06/20)
僕はかつて中国大陸を旅したことがある。
もう14〜5年前のこととなるけれど。
その当時僕はまだ学生で、高校生時代から古き歴史のある国に魅了され、ぜひ中国に行ってみたい!と強く思っていた。大学に入りある程度落ち着いてきた時、長年抱いていたこの計画を実行すべく行動に移した。友達に話したところぜひ一緒に!ということで意気投合、夏休みに中国、香港の長旅に2人でいくこととなり、その計画はスムーズに進んだ。
おまけに2人ともはじめての海外旅行とあって、期待の大きかった反面不安もかなりあったが、怖いもの知らずのその時期、そんな不安も足を踏み出す障害にはならなかった。そして、2人は片道切符のみをにぎり、行き当たりばったりの旅に出た。真夏の東京を中国北京行きの全日空機は飛び立ち、約4時間半ほどのフライトの末、無事に到着した。
空港から北京市街に行き、宿泊するホテルも決まり、荷物を置いて街に繰り出した。
大きな通りから路地に入りプラプラしていると…するとあちらこちらと関係なく、匂うのだ!!それもいいにおいならば歓迎なのだがそのにおいといったらまさに”う○こ”。
それがそこいら中漂っているのだった。
そこには公衆便所があった。ガイドブックで見てはいたが、これが悪名高い?中国の公衆便所か!
中を見ると、小便器もなく壁の下に溝がありその壁に向かってオシッコをしている人がいた。
それに日本では当たり前のことだけど、この公衆便所には大をする個室がない!あるのは3m×1.5mほどのコンクリートの枠があり、そこに木製の板が8枚ほど渡されている。
もう想像が付いたかもしれないが、その板2枚に片足ずつをのせそこにしゃがんで用を足すというもの。まさにカルチャーショックだった!隣の人はもちろん下半身丸出しで用を足しているのが見えるわけである。
この公衆便所はなんとそれ以上の使われ方をしているのだった。一般家庭ではトイレがないうちがあるそうで、オマルのようなものに貯めておいて、ある程度たまると公衆便所に捨てに来るとのことだった。
また、漂うにおいは公衆便所だけではなかった。中国は水が悪いので、猛暑だからといって水を飲めないそうで、その代わりみんな西瓜を食べて水分を補っているのだった。とそこまでは良いのだが。
西瓜を食べれば皮が残る。その皮をあたりかまわず投げ捨てている。湿度70%気温40℃近くのこの時期、腐って悪習を放つのは当然のこと。
郷に入ったら郷に従えとはあるがさすがに…こういう状態をみて後悔を感じたくらいだった。万里の長城、故宮、パンダ…そんな象徴的なことがらしか頭になかった自分と現実のギャップは大きかった。
どうも考えとして彼らは、土に帰るものはそのまま捨てるというものがあるらしく、みんな悪気なくそれらをポイ捨てしている。それが路上でなかろうと。ちなみにバスの中には桃の種がゴロゴロしていてバスが坂にさしかかったり揺れたりすることに前後左右を転がり人々の足にあたっていた。
衛生観念に関しては日本とは比べものにならないほど無頓着だということを感じた。現地では当たり前のことなのだろうけど。僕はあらゆるところでこの衛生観念のギャップを感じた。
レストランではギトギトに油のこびり着いた箸が平気で出てくる。鶏の骨やカニの殻がしたに散乱しているなど…
全体的にはスゴク楽しかったし、色々な面で勉強になった。
大げさにいえば世界観が変わったといっても過言ではないくらい…
その中国にいまSARSが大流行している。
コロナウィルスが原因だということはわかっているらしいが、感染ルートについては様々な要因があるようだ。
咳をする時に口を押さえない、痰をみちばたに吐く、トイレの衛生状態の悪さ…
SARS流行を受けて中国では衛生面の改善を図るべく環境を汚すことでの罰金の強化など改革を行っているそうだ。
僕がかつて旅行した頃にもやはり街中のにおいや、清潔とは言えない状況に不快な感じも得た。
それは僕が日本人だからということだけではないのだろう。人種や国にかかわらず、嫌なものは嫌なのだ。
人が嫌がることは自分もしない。これが答えのような気もする。
伝染病が流行る条件には必ず不衛生な状況が当てはまる。
この度のSARS流行で衛生強化策ご実行されているということは今後の中国のためにも必ず良い結果がもたらされるのではないだろうか、と思っている。
この話を聞いて悪印象を持った方もいるかもわかりませんが、これはあくまで限られた範囲を旅した私が個人的に体験したことであり、どこもすべてがこのような状態ではありません。さらに14〜5年前ということ。その後中国も飛躍的に発展されており現在は様変わりしていることでしょう。
今でも中国は好きですし、当時優しく接していただいた中国現地の方々にも感謝しています。
中国を侮蔑するような心のもとで書いているのではないことをご理解下さい。
今度は「素晴らしかった!楽しかった編」でも書いてみます。
(2003/06/04)
僕が接する人の中には本当に様々なタイプの人がいるもんだとつくづく感じることがある。セミナーを行っているので当然その様々な人に接することになるのだが…
みなセミナーを受講する目的も違うし、求める期待度なども違うのだろう。
僕の話を聞く態度もまた様々だ。
真剣にメモを取りながら聞く人、にこにこしながら聞く人、首をかしげながら聞く人…
横柄な態度で接する人もいる。僕も人間なのであんまりの態度をされれば面白くはない。
某月某日のこと、「あなたは何をしにここへいらしたのでしょう?」と聞きたいばかりの横柄な態度。金を払えばどんな態度をとってもこっちの勝手だと言わんばかりなのか??知らないけれど…
こちらも真剣に話したくなくなってくる。
…と、ふだんは自分の感情にながされて行動をしてしまう僕なのだが、この日はなぜか違った。
「あ〜、もしかしたらこれは自分の姿を映し出しているのかもしれない」と思ったのだった。
つまり自分の投影なのかも。
自分自身の言動を省みてみれば、その人と同じように人に横柄な態度をとることもあるし、聞く態度もなっていなかったと思い当たる節もいろいろある。
「人のふり見て我がふり直せ」というのはこういう事なのだ。
理屈ではわかっていても、それがいざ自分自身のこととなると感情に支配されたり、利害を優先してしまったり。
なかなか難しいことなのかもしれない。
しかし、自分自身を律する目を持っていれば気づくのだ。
どこかで自分自身を第三者的に見る自己を創ることが大切だと感じた。
(2003/05/31)
先日、ニュースでこんな情報を耳にした。
ふぐ養殖業者の一部が養殖場の生け簀にホルマリンを撒いていると。ご存じの方も多いだろうけどホルマリンは劇物に指定されている。それに発ガン性も認められている。
最近話題にもなっているシックハウス症候群の原因物質としてこのホルムアルデヒドという名前を聞いたことがあるかもしれない。ホルムアルデヒドがホルマリンの正式名称だそうで…
なんということか、この劇物が病気対策・寄生虫対策の名の下、私たちの口にはいることになるふぐに与えられているということ。
それらの業者は、ふぐが病気になれば出荷できず身入りが減り、困る。だからホルマリンを使う。
病気になるのもストレスが要因にあるのだそうだ。一つの生け簀で大量に養殖すると病気も増える。するとまた大量のホルマリンを使う。悪循環が起きている。
儲け至上主義のもとでは、このようなことが平気でまかり通っているのだ。
やはり自分のことしか考えないのだろうか…
多くの人たちの口に入るものを送り出しているそのおおもとがこのような不道徳な行為を平気でしているのはまことに悲しいことだ。
また、海の生態系にも重大な影響があるということだ。もちろん人体にも影響があるのではないだろうか…
まさに天に向かってつばを吐く行為だ。
自らの行っている行動を見つめて欲しい。
そして、身近に感じ、心乱していることは
ゴミ出しのルールを守らない人だ。
ゴミを収集日を守らずに出す人がいる。それも事業用のゴミを大量に…
そういう輩が一人でもルールを無視してゴミを出せば、それに伴って他の人も同じ事をする。
こうしてルール無視のゴミ収集場所。になる。
たかがゴミの収集場所のことだろ!と思うかもしれない。
NYがかつては治安の最悪な犯罪都市だったことはご存じのことだろうが、いまはアメリカの中でも治安がよい場所になっている。犯罪を減らすことに成功したのはある博士の理論。
落書きを徹底的に消すことだった。小さな犯罪を見逃しつづけていると、それが大きな犯罪に繋がるということ。駐輪禁止場所に多くの自転車がとまっていたら、あまり躊躇無く置いてしまうのが人の心理だろう。他がやっているんだから自分もしても良いんだろう…という心理が働くのかもしれない。
この、”自分ひとりくらいなら…”や”このくらいの小さな事なら…”などという自己本位な行動の末路がどうなっていくかの責任を考えて行くべきだと思う。
自分の行っている行為が社会全体に大きな迷惑に繋がる事になるやもしれないことを十分に認識する必要がある。
(2003/05/14)
ここ数年、この時期には『健康博覧会』というイベントに出向いている。文字通りあらゆる健康産業の博覧会だ。
世の人々も以前に比べ健康には大変関心が高まっているようで、それが今の健康ブーム?を支えているんだな。なんて思いつつ毎年その博覧会に足を運んでいるのだ。
健康食品、ヒーリング関係、エネルギー・波動グッズ、健康器具、衛生機器・・・・・と様々なジャンルのブースがでていて、人の集まり方もまちまちだった。
会場をうろうろとしながら、数周してしまった。
そうして思ったことがあるけれど、人が集まり賑わうブースと、閑散としていて人が寄りつかないブースがあり、一体どんな要素がこれを決めるのだろうか?と。
もちろん考える以前に、場所の問題や、人寄せのためのプレゼントなどを配るなどの差は確かにある。それを除外しての話として、賑わうブースと人の寄りつかないブースとででは、そこにいる係やコンパニオンの人たちの感じが違うことに気づいた。違う言い方をしてみれば発するオーラが違うのだ。
人が寄りつかないブースにいる人の態度はムスーっとしていて暗い・・・
これじゃ人が寄りつかなくて当たり前だ。人が来なくて余計にそんな態度にもなってくるのかもしれないけれど・・・
人の注意を引くことがあの会場ではある意味目的なのだから、人の注意を効果的に引くべく目的を持つべきなのだろうに。と思った。
これはなにもこの会場においての特別なことでなく、日常の生活においても、ブスーッとしていてふて腐れている態度をしている人に近づきたいかといえば、もちろんNOだし、自然に足が遠のくだろう。近寄りがたい波動を発しているのはその当人だったりする。そんな人に限って「孤独だ…」とか「人は自分を理解しない…」などどいっているのがまた悲しい。
人を惹きつけたいというのならばそういう目的をまず持つことだろう。そして、自分だったらどういう人の魅力を感じるのだろう?とか、人の支持を受ける人の態度などを観察してみるのも参考になるのかもしれない。
心を閉ざしていれば、人への門戸も閉ざすことになる。心を開き、自分にではなく外に注意を向けることがそのカギになるかもしれない。
(2003/04/03)
先日、知人を訪ねるため熊本に行ってきました。
その目的はもちろんその知人に会うことと、またその知人のご縁のある方々に会うことにありました。
熊本まで行ってなにをしてきたのかというと神社めぐりをしてきました。またその目的は神業です。
私は特に宗教を信仰しているわけではありませんが、よく神社には参拝に行きます。
神業って何をするのだろう?と思うかもしれませんね。今私が行っているものは自らのこれまでの罪・穢れをお払い、立別けしていただくものです。
この神業をするととても爽やかで清々しい気持ちになることができ、なおかつ体がエネルギッシュになるように感じますし、感覚的にも良い波動を感じます。
さて、話ははじめの熊本に行ったことに戻ります。この神業をはじめたきっかけは熊本の知人のご紹介からでした。またその知人がはじめるきっかけにもなった方に、私がお会いしたくて行くことになったのです。
熊本に行くにあたっては、さほど前準備を熱心にしていたわけではなく、だいたいの日程を頭に浮かべていただけでした。
家族に話したところ、妻も一緒に行きたいということだったので家族3人でいくことにしてからやっと準備をしたくらいなのです。でも、家族3人ともなれば交通費も宿泊費も一人で行くに比べれば数倍かかることになりますし、正直大変だな…なんて思っていたのです。
インターネットでできるだけ安上がりにいける方法はないかと調べはじめ、なんだか直観に促されいつもはほとんど見もしなかった旅行情報のサイトを見たのでした。そこで熊本の情報を検索すると、まさに激安のプランを発見しました。飛行機往復+ホテル1泊(それも最上級ホテルです。)で、正規運賃価格の半額以下というものだったのです。でもこのプランは1泊のみだったのですが、帰りの飛行日程を延ばすことは可能なものだったので、別途ホテルをとれば予定の3泊もできるとのことでした。そこで、ホテルの情報をまたインターネットでサイト検索をすると、”35周年記念おひとり様\3,500円プラン”なるものを見つけたのです。それも熊本市内では1・2番といわれる最上級ホテルでした。それがたまたま飛行機とセットになっているホテルだったのです。こうしてとてもリーズナブルに旅行できることとなったのです。
飛行機では空席があり、膝上に乗る予定だった娘も席に座ることができたり、ホテルも子供の料金は取られませんでした。と、なにごともトントン拍子、かつ大変お得にことが運び、熊本においても大変有意義な日程を過ごすことができました。
今までの人生の中にも、トントン拍子で事が展開することがあったと思いますが、きっとこういう事は自分の魂の目的に沿うことしていると、大宇宙が惜しみないサポートをしてくれるものだと感じたのでした。
(2003/04/02)
2003年3月21日春分の日、日本各地で行われたデモがあったのをご存じの方も多いでしょう。
“WORLD PEACE NOW”on
3.21 後の報道によると50,000人に人々が参加したとのことで、大変な盛り上がりだった。
僕は東京での反戦デモ(芝公園から日比谷公園まで)に参加した。
当初は自分一人だけでの参加予定だったが、僕が出かけたあと、2歳の娘がテレビのニュースを見ていて「これに行きたい!」と言ったのだそうで、あとから妻と娘が急遽参加ということになった。
その連絡を受けたのは、僕がもう既に芝についたころだった。デモ行進のスタートは13:30。間に合わないだろうし、ヘタすれば出会えないだろうな…などと思っていた。
御成門駅に着いたという連絡を受けたのは13:45頃だった。そこから徒歩10分位なのだが…デモ行進に参加するため、会場に向かう人々が駅からずーっっと連なっており見つけるのはかなり困難だった。
そして最悪な事態が!携帯の電池がなくなって交信不能になってしまったのだ!「あーどーしよー…」
近くに公衆電話もないし・・・しかたないあきらめようか・・・とデモ行進の整列場所まで戻っていった。
と!そこには何と偶然にも妻と娘がいてばったり出会うことができた!「おーっ!」
50,000人の人混みの中連絡も取れずに出会えたのは奇跡的なことだった!そのときはなんだか不思議な感覚に襲われていた。
さてさて、こんなのとを経験した僕たちは、デモ行進の列に並んだ。
周りを見渡してみれば、若者からお年寄りまで様々な人達が集っている。これだけ多くの人達が心を一つにして戦争反対を訴えていることに感激した。日本人っていままで無関心な立場でいることが多かったんじゃないのか…
それに、ましてやデモ行進なんて。
開戦直後の祝日ということもあって人出が多くなったということもあるのだろうけど、世の関心が、個々の行動に繋がっていることにうれしさを感じた。意思表示をすることってやはり大切なことなんだな。
僕らは「NO
WAR!」と大声でのコールをしながら歩いた。みんなの心が繋がっていたように感じた。
P.S.はじめは「戦争反対〜ぃ」なんて威勢よく言っていた娘も途中からこんな感じでした。(笑)
「今後も反戦運動をしていきます。」賛同される方には下記のサイトはお役に立つと思います。
もう戦争はいらない 〜わたしたちはイラク攻撃に反対します〜
WORLD PEACE NOW
(2003/03/23)
SMAPが唄う「世界に一つだけの花」という歌。僕にとってここ最近ではまれな、素直にいいなーと思える歌だ。
この曲はフジテレビ系のドラマ「僕の生きる道」の主題歌でもある。
それに、過去に発売されたアルバムのなかにあったものがリングルリカットされて今出てきたのだ。
一概には言えないけれど、30歳代も半ばを過ぎた男性がSMAPの曲を好んで聴くことはあまりないかもしれない。僕もそのうちの一人なのだけれど…
アイドルの歌なんて…って思ってしまっていた。ということでSMAPの歌は聞き流す程度には耳にしてはいたけれど、”聞き入る”なんてことはあまりなかった。ましてや、アルバムの中の一曲といえばもっと聞く機会もなかったろう。
でも「世界に一つだけの花」はどういうわけか、多くに人に耳にされる機会を得て、そして多くの人の心に訴えかていける。意味深い詞がとても心にしみいる。
また、作詞作曲は槇原敬之氏が手がけている。あの事件から何年経ったろうか…復帰後の彼はあの事件以前の彼とはずいぶん変わったように思える。以前も素晴らしい歌をたくさんつくってはいたと思うけれど、最近の歌はとっても素晴らしいと思う。このような歌が作れるようになったのも苦悩を味わってきた彼だからというところもあるのでは?と思っている。
歌はこうつづく・・・
♪この中で誰が一番だなんて争う事もしないで・・・
それなのに僕ら人間はどうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で一番になりたがる?♪
と今の世の中に問いかけているよう。本当に大事なのは”一番”になることなのだろうか?争いの中からつかむものは自分になにをもたらすのだろう。
♪そうさ 僕らは世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つその花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい♪
自分にないものを無いといってなげいたり、他人を羨むよりも、自分にあるものに目を向ければいいじゃないか。
それに感謝する。 自分を好きになる。
僕も、今あることに幸せを感じられることは本当に幸せなことだと思う。
♪小さな花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1にならくてもいい もともと特別なOnly one♪
このフレーズを聞いて、今の世の中にあらためて問いたい。
競争社会ってのは多くの敗者を創り出すし、苦しみをもたらすもの。
みんながそれぞれの価値を認めて、その素晴らしい部分を磨く。自己の成長と喜びに変わる。
こういう考えが根付いて、あたりまえになる社会にしていくことが大事だと思う。
自分を好きになることが他人を好きになったり愛せたりする礎になるのだろう。そして愛は広がる。
「世界に一つだけの花」
(作詞:槇原 敬之 作曲:槇原 敬之)
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争う事もしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?
そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
困ったように笑いながら
ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも
きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた
その人が抱えていた
色とりどりの花束と
うれしそうな横顔
名前も知らなかったけれど
あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で
咲いていた花のように
そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
小さな花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならくてもいい
もともと特別なOnly one
(2003/03/12)
私たちは、ある出来事において自分自身が被害者であると認識していることが多くあるのではないだろうか?
例えば、学校の体制が悪い、政治が悪い、アイツが悪い、姑が悪い、嫁が悪い…
被害者の方が、立場的に有利であると思っているのだろうか???
とある新聞記事で目にしたのは、子を持つ親の相談を受けていると、その親が被害者意識を持っていることの多さに驚く。子供の問題はそのような意識があればあるほど、解決しにくいという。第三者に責任を押し付けることによって問題が遠のいてしまう。いじめ問題で、学校側の回答が官僚的になったり、教師たちが競争なきサラリーマン化するのも、保護者たちの強い被害者意識に抗しがたいからで、加害責任はすべての大人にあり、特に親が自分たちの問題として引き付けて考えなければ、相談内容の解決は難しいと思います。といった内容。
私たちが体験する現実というのは、自分自身に、それを引き起こすタネが何かあると考えてみることのほうが自然ではないだろうか?
例えば日常的なことを挙げてみてば、双方が相対立する事情において、片方の意見ばかり聞いていたのではらちがあかなかったりする。そんな時、「両方の話を聞いてみないことには…」ということになるだろう。その当事者においても、他者に責任転嫁をしているうちは関係改善は図れない。
ある状況は様々な側面が同時に存在してその状況を構成している。だから、一側面からの視点にとらわれていたのでは全体像は見えてこない。当然、問題点や解決の糸口さえ見えてこないだろう。
ある状況に自分が立たされたとき、敢えて、相手の立場に立ってみたり、世の中の人々という立場になって見てみるのだ。そう、外側から自分を見るということ。そうやってわざと視点を変えるのだ。
相手の立場に立って初めて物事の本質が見えてくるという経験はそんなに珍しいことではないだろう。
こうすることで、固執した自分を、もう一つ外側の視点で見られることになるのだろう。被害者意識は捨てる。この選択は自分自身が持っているのだ。解決の糸口は自分の行動から。
(2003/02/07)
昨年暮れあたりに入ってから、なぜだか、以前にやっていたけれど今はやっていないという事がやたらと気になりだした。
ある日、何気なく「ストレス」というフレーズをふと考えたとき、強烈な直観が入ったのだ。
まず1つは瞑想だ。それもTM(超越瞑想)というもの。「そうだ!TMだ!」というような感じで。
TMはご存じの方も多くいるとは思いますが、マハリシ・マヘシュ・ヨーギという人がはじめた瞑想法です。ビートルズのメンバーがやっていた瞑想法としても有名です。もし詳しく知りたいという方は下記にHPと書籍を載せますので見てはいかがでしょうか。(※1)
さて、僕がTMを学んだのは遡ること5年前、1998年のこと。当時、精神世界にかかわるような様々なものに興味をひかれていたころで、TMを学んだのも深い心の休息や精神性の向上を求めてということからだった。
しかしながら、色々なものに興味が次々に移る当時のこと、TMも数年はおこなってはいたけれど、一日さぼり、二日さぼりしているうちにやらなくなってしまった。そのかわりに、別のワークがその位置をうめた。
その時にはそれが必要な流れだったのかもしれない。
そして、今、自分自身に必要なタイミングで再びTMがやってきた。
やり始めてみると、TMの良さがわかりだしてきた。ストレスマネジメントが健康をつかさどるカギを握るといわれている昨今、TMは役立つツールの一つとなり得るだろうと感じている。
ここ1ヶ月位で感じている効果としては、疲れが取れやすくなったということと、心の休息ができるということ。
TMをはじめて学んだのは5年前、忘れているようなことも多くあると思い、チェッキング(TMの教師に指導してもらうこと)を近々受けようと思っている。
もうひとつが、十字式健康法(※2)。これは知る人ぞ知るという不思議な施療法なんです。阿久津先生という元獣医師の先生が馬の背骨のズレを偶然に矯正したことで、その状況が改善されたという体験に基づき、「背骨の歪みが万病のもとである。」という理論のもと、開発した方法なのです。前頭葉から出す精神エネルギーで瞬く間に背骨をまっすぐに矯正していくというもの。西洋医学の医者に見放されたような様々な病気が改善している例も少なくないということ。
そして話をもどすと、僕はもともと冬になるとこういう気があるのだが、少し腰のあたりに痛みを感じていたので、レイキをやっていました。またまたそんな時に直観が!そういえば十字式ってどんな感じだったかなぁ?
僕は現在レイキを教えたり、氣功やレイキなどでの施療なども行っている。これだけに固執するつもりはないので、勉強がてらと思っての行動でした。数回行ってみたのですが、ワリと良い感じで楽になっています。
この経験が、今後の自分の仕事などになにか活かせればいいなと思っている今日この頃です。
最近受け取っている直観をいずれも行動に移してみたところ、良い方向に行っているような感覚がしている。あのとき、「こんなものは過去の事よ!」なんて思って捨てていたのでは、今の現実はなかったろうと思っている。
それほど大それた事ではないかもしれないけれど、こういった心がけは大事だなと感じている。
(※1)
・『新
TM瞑想法がよくわかる本』/ダイヤモンド社 マハリシ総合研究所編 \1,400+TAX
・TM 超越瞑想 http://www.maharishi.co.jp/tm/
(※2)
・十字式健康法 http://www.jujishiki.co.jp/
(また、下記のサイトは僕が「まいるーむ」に99年に掲載したものです。TMと十字式の両方がコメントしてあります。)
http://www.ab.auone-net.jp/~oneness/myroom9906.htm
(2003/01/31)
”一年の計は元旦にあり”
物事を始めるには、計画が重要だという意味。「1日の計は朝にあり、1年の計は元旦にあり」ということだ。
以前にもここで書いたことがあるけれど、やはり目的をもつということは大事なことだと思う。
なにかに向けて力を注ぐことで現実化し、経験する。力の向け先が決まらずして、なにを現実化しようか。
一年の始まりに、その年をどうクリエイトするかを決めることは意味のあることなのだ。
よく新入社員が受けるビジネス講習などで”PLAN”−”DO”−”SEE”(計画−実行−反省)という仕事をうまく行うための基本を教えられる。つまり、ある仕事を行うには、まずその計画を立てて、それにしたがって実行し、その結果良かったことを良い材料として今後に役立て、悪かったことを反省検討し、次のための課題とする。こうして次の仕事にも(P)(D)(S)のサイクルをもっておこなうことで、よりよい仕事ができるようになるという。
このサイクルの最初は”PLAN”つまり計画、目標なのだ。自分の人生においても同じように考えればいいのだ。
今年はろくな事がなかった…とか言っている人(自分自身を含め(^_^;))は、一体何を目標とし、何に注意を向けていたのかを考えてみるといいだろう。
「目標なんてないさ…なかったさ…」というひとは今からでも目標を持つことで、望む現実創造に向けて意を注ぐといいのではないだろうか。
なにもとてつもなく大きな夢や目標でなくとも、小さな目標でもいいので”目標”を持つことで人生を意義あるものとすることができるのだろう。
今年も元旦になる早々に近所の神社に初詣に行った。そこでおみくじを引いたのだが、その内容はまさに自分自身に対する天からの言葉に思えた。
そこにはこんな事が書かれていた。
−神の教−
神の教えを忘れてよその、小道まような、枝道に 身びいき身勝手の事ばかりを考えて、我儘にのみ振るまえば、神さまの御心に遠ざかって、神さまから離れ、不幸を招く基となる。常に思いやりの心深く、人を憐れみ、人を助けて、地上に平和の高天原を現すべく世界作り固めの御役目大事と働くことが、誠の神の教えである。
今までの自分への反省と共に、これからをどう創造していくかということを考え、本年の目標を自分勝手な行いを改め、思いやりを持って人の立場に立った行動をすること。にした。
というこんな僕ですが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2003/01/01)