98/07/03~98/12/28
私の1998年(98/12/28)
戦争、またか…(98/12/17)
2度目のクリアゼーション(98/11/30)
レイキの効果って…(98/11/28)
「オンリーワン」の声楽家(98/11/14)
京都・奈良への旅(98/11/11)
Blowin' In The Wind(98/10/18)
ジョハリの窓(98/10/16)
何気ない毎日(98/10/13)
七沢温泉 みたび(98/09/27)
神様もう少しだけ(98/09/22)
『生きる』を思う(98/09/14)
地球交響曲<ガイヤシンフォニー>を見て(98/08/29)
富士山での話(98/08/27)
かごめのメッセージ(98/08/27)
時空を越えてきた愛(98/07/03)
MyRoom#10(03/07/02〜04/05/31)へ
MyRoom#9(03/01/01〜03/06/20)へ
MyRoom#8(01/07/31〜02/12/31)へ
MyRoom#7(00/07/21〜01/06/19)へ
MyRoom#6(00/01/06〜00/06/23)へ
MyRoom#5(99/07/26〜99/12/28)へ
MyRoom#4(99/01/06〜99/06/20)へ
MyRoom#2(98/01/30〜98/06/23)へ
MyRoom#1(97/11/03〜97/12/31)へ
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今年も残すところあと数日。1998年が終わってゆこうとしています。
私にとっての1998年はいままでの人生の中ではなかったような変革があり、そしてそれが実感できた年でした。
どんな変革か、あげてみましょう。
まず、出会いにあります。「大宇宙のささやき」【http://www001.upp.so-net.ne.jp/love777/】の宇宙瞑想パーティーに3月に初めて参加して以来、本当に楽しい人々との出会いが多くありました。いろいろな人の体験を聞いたり、みんなで温泉に行ったり、「楽しい」と思える時間が多く、悩みといえるようなものはあまり感じませんでした。これらの出会いや体験が私の魂の成長を助けてくれたのでは…と思っています。
最初、参加する前は「宇宙瞑想パーティー?怪しげだ…んーちょっと…」などと敬遠していたのですが、直感というかひらめきによって思い切って「参加してみよう!」と思ったのがきっかけでした。私の中で何かが変わったのです。
それまでの私はどちらかというと自分のうちにこもるタイプであったと思います。人と会うのが面倒だったり新しい出会いから逃避していたり、そのくせ孤独感を感じていたり…内心そんな自分が嫌いでした。物事も悲観的に考える傾向があり、喜びもあまりなかったように思います。
それがどうでしょう?いまは人と会うことが楽しいし、それを求めているくらいです。悲観的な考え方もかわり、ストレスでいつも胃腸の調子が悪かったかつての自分はどこへ?という感じです。
”過ぎたことをクヨクヨ考えず、先のことを案じない”このことの実践が幸せへの近道かも…
こんな考えが板についてきたのも人との出会いがきっかけなのです。
そして、こんどは本との出会いで、これも私を大きく変えた要素の一つです。
私は何者?何のために生きているの?魂とは?宇宙とは?愛とは?この一年こんなことを探求してきました。
いまだ勉強中なのですが、何となくわかってきたな…と感じる今日このごろです。
次に、レイキヒーリングのセミナー(ワークショップ)を4月から開催したこと。このセミナーによってもたらされた出会いも素晴らしいものです。
また、私の開催するセミナーによって受講者の方々と喜びが共有できたことが本当にうれしく、励みにもなりました。
自分でセミナーを運営することで自立心や方針をいかにするか?試行錯誤の中で生み出されたものは今後にも役立つこととなるでしょう。
私の人生の変革にもう一つ大きなものが…
ソウルメイトとの出会いです。いまは二人で実感しています。訳あって詳しく書きませんが時期が来たらいきさつを書いてみようかと思っています。
1998年、私は変わりました。んー、変えることができました。
私の成長は私だけのものでなく、出会ったみなさんのもの、そして宇宙のものでもあると…そう思います。
来年のことは来年。いまこの時、瞬間を大事にしましょう!
(98/12/28)
「イラクに空爆が行われたもようです…」今朝のテレビのニュースでの声。
またやってくれたか。そんな感じでした。アメリカ、イギリスによる攻撃。
どんなものにも表面、裏面があるのではないだろうか?とかくアメリカ側の視点で見る癖のついている私たちは、マスコミの報道するままを受け入れてはいけないのではないでしょうか? 自分で感じるべきです。
大量殺戮兵器製造疑惑…国連査察団による査察拒否などイラクにも批判はあるでしょう。が、しかし言うことを聞かないから力ずくの武力行使というのは… 人間関係に置き換えてみればあまりにも安易でお粗末ではないだろうか?
軍事施設への爆撃と言うがこの攻撃が続けば、罪のない人々が何人、何十、何百、そして何千何万と殺害されていくのです。
平和な世界はいつやってくるのでしょう、いや、いつつかみとれるのでしょう。
私たちはどんな行動を取ればいいのでしょうか? 私は、平和で愛に満ちた世界を望みます。
平和のために私は何か行動を起こさなくてはなりません。そう心に浮かびました。一刻も早くこの殺戮が終わることを祈ります。
この空爆を「砂漠のキツネ作戦」というらしい… 実にふざけている。これが人殺し作戦のニックネームです。
ボブディランはうたう…
何度見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をつけたら偽政者は
民衆のさけびがきこえるのか?
何人死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている…
Blowin' In The Windへ
(98/12/17)
11月29日、2度目のクリアゼーションに行って来ました。(この前は5月に参加)
28日から職場の人たちと箱根の強羅温泉に行ったのですが、卓球に過度に熱中してしまい、翌日には普段の運動不足がたたって体中のアチコチに筋肉痛がぁ…というひどい状態になってしまいました。ゆっくり温泉にでも浸かって普段の疲れを癒そうなーんてつもりが情けない(^-^;)ゞ
そんなこんなで、翌日になった29日の夜はクリアゼーションに行くかやめるか心の葛藤があったのですが、なぜか「今日行かないと後で後悔しそう。」という感覚にとらわれて、ようやく行く決心ができました。そのため家をぎりぎりで出たため会場に着いたのは始まりの1分前でした。
会場に着くと以外や人数もまばらで12〜3人ほどしかいませんでした。前回とは大違いだなぁなんて感じながら、間もなくクリアゼーションが始まりました。(クリアゼーションはハワイに在住の澄子さんという方がやっている瞑想?です。どんなやり方をするかというと、椅子に浅くかけて、両方の手のひらを上向きにし、肘から曲げて軽く目を閉じます。そこで澄子さんの透き通る歌声に耳を傾けていると…体が勝手に動き出すんです! 澄子さんが言うには「体が喜んでいるの!」「光に包まれて体の自己治癒力で勝手に動いて癒しているのよ」とのことです。)
今回が2度目ということもあってか? 以前よりすんなり入れて動きが大きくなったように思えました。
そしてクリアゼーションの間、不思議なビジョンを見ました。クリアゼーションが始まって数分後、はじめは”白い蓮の花”が見えました。薄い霧の中で夢のような世界の中にある感じでした。不思議だなぁなんて思いつつ、今度は”青いきれいな山々”が見えました。このビジョンもとても美しいもので心から「きれいだな」という感じでした。気持ちのいい感覚が続きました。
45分のクリアゼーションも短く感じ、終わった後は体全体や手のひらが熱くなってリラックスでき、なおかつ筋肉痛の体の痛みがいくらか和らいだようでした。
その後、参加者みんなで輪になって座り話をしました。おもしろい話がたくさんあり充実したひとときでした。
澄子さんを見て思ったのですが、本当に自然体だなぁと… 「私ってすごいよね?」「私って天才なのよ!」「やりたいことをしているの」こんな言葉がポンポンと出てくる… 考えがポジティブというか心がオープンというか、こういう生き方っていいなと感じました。
つい、「仕事が忙しくてとて…」とか「どうせ、行けない…」とか思ってしまう普段の自分を改めて感じました。
これからは、「ポジティブ思考で楽しいことをいっぱいしていこう!」を目標にしようっと!
こんなふうに思えた日でした。(98/11/30)
ところで先日、私のセミナー受講者(5月受講)の方から電話がありました。
「レイキはすごいですね!ほんと役立っています。」と。
この方は整体治療院をやっているかたで、整体とレイキを組み合わせて使っているとのことです。
先日、ある患者さんの仙骨部分にレイキのエネルギーを通していたところ「ぐぎぐぎいっ」と勝手にズレが調整されたとか!? 治療院の浄化にもとても役立っているとか?
レイキも応用次第で大変おもしろく使えるものなのでしょうね。
「いいことばかりで…」と喜んでもらえて私もなにか嬉しくなりました。
レイキの活用(変わり種編)では第一シンボルを寝ぐせの髪の毛に送って手でしばらく押さえていると直りが良い!?とか…(^_^;)
もし、レイキに興味のある方はこちらをご参照下さい。→【レイキ】
(98/11/28)
先日、深夜のテレビでドキュメンタリー番組を見ました。
都内に在住の盲目の声楽家、新垣勉さんはその歌声を通して人々に生きる勇気を与えている。
新垣さんは在日米軍人の父と日本人の母の間に生まれたが、助産婦のミスで失明してしまう。米兵の父はアメリカに帰ったまま行方不明、母は家出…
あるとき、新垣さんは年の離れた姉と言われていた人が実の母で、母だと思っていた人が祖母であったこと、そして失明の真実を知ることになる。両親助産婦を殺したいほど憎んだそうだ。そんな新垣さんはある牧師と出会い、愛と家族の暖かさを教えられ、盲学校での先生の指導によってテノール歌手になることを自分の生きる道とした。
新垣さんは学校や更生施設を回り、歌いそして語りかける…「いまの教育はおかしいと思う。学校でもどこでもナンバーワンになれと言うが、この考えはいつか必ず挫折する。大事なことはオンリーワンになること。私だけ… 私の人生は私だけにしか生きることはできないんです。」と。
私はこのオンリーワンの生き方、優しい生き方だと思います。
競争社会では勝者と敗者が必ず生まれる。そして、優越感と劣等感…
言い換えれば「私が勝つ」ではなく、「誰も負けない」。 そんな選択もいいのではないでしょうか?
そして、新垣さんはある学校を訪問して、この「オンリーワン」の生き方を自分の実体験とともに語った。子供たちは真剣に取り組み、新垣さんに心を開いていく様子がわかった。
新垣さんはこの学校でコンサートの最後の曲に選んだのは『野に咲く花のように』だった。
ご存じの方もいるのではないでしょうか?フジテレビ系でたまに放映されている「裸の大将放浪記」のテーマ曲です。
♪
野に咲く花のように 風に吹かれて
野に咲く花のように 人をさわやかにして
そんなふうに 僕たちも 生きてゆけたら すばらしい
時には暗い 人生も トンネル抜ければ 夏の海
そんな時こそ 野の花の けなげな心を 知るのです
野に咲く花のように 雨に打たれて
野に咲く花のように 人をなごやかにして
そんなふうに 僕たちも 生きてゆけたら すばらしい
時にはつらい 人生も 雨のちくもりで また晴れる
そんな時こそ 野の花の けなげな心を 知るのです
そんなふうに 僕たちも 生きてゆけたら すばらしい
時にはつらい 人生も 雨のちくもりで また晴れる
そんな時こそ 野の花の けなげな心を 知るのです♪
ふだん、何気なく聞き流していたのですが、この歌、詩の素晴らしさに心を打たれました。素晴らしい選曲でした。
機会があれば是非、新垣さんの歌声を聞いてみたいと思っています。(98/11/14)
10月30日から11月3日まで京都・奈良へ旅行に行きました。京都の鞍馬、滋賀の比叡山、奈良の天河に行くのが今回の主な目的で、鞍馬、天川に関しては5月に続いて2度目になります。
今考えてみると、なにか今回の旅行が必然的に用意されたもののように感じます。よばれたといっていいのでは…
−鞍馬寺へふたたび−
京都、鞍馬山は叡山電鉄の終着駅の鞍馬駅降りてすぐにあります。山門をくぐり木々の立ち並ぶ気持ちのいい坂道を15分ほど歩くと鞍馬寺が見えます。前回の時にも感じましたが、場の気がすばらしい!
鞍馬寺を正面に見て本堂の15mくらい手前にサークルがあるのですが、その中心部には六茫星(ヘクサグラム)があります。そこに立って軽く瞑想をしてみたのですが、ものすごいパワーが額から入ってくるのを感じます。意識は光で満たされ感動的な一時でした。
その後本堂へ行き祈祷をお願いしました。祈願するスタイルも自分のしたいようにするという自由なところがまたいいと思いました。
鞍馬寺の信仰は大宇宙です。そのはたらきは愛と光と力の三身(=尊天)
一人一人が尊天の世界に近づき尊天の合一するために自己の霊性にめざめ自分に与えられた生命を輝かせ明るく正しく生きること。
<いのりの言葉>
月のように美しく(千手観世音菩薩)
太陽のように暖かく(毘沙門天王)
大地のように力強く(護法魔王尊)
尊天よあふるるみ恵みを与えたまえ
となえる言葉は「すべては尊天にてまします」です。
宗派、人種、国境にもこだわることなく、真のめざめと万物の調和をいのる鞍馬寺の教え。だれもが気づかねばならないことのように感じます。
さて、鞍馬寺を後にし、木の根道を歩くこと30分ほどで僧正ガ谷不動堂に出ます。またもやここに六茫星(ヘクサグラム)がありました。先ほどと同じように目を閉じ瞑想してみると今度は力強い波動が足から入ってくるのがわかるのです。これは私だけに起こったことではなく一緒に行った人にも起きた不思議なできごとなのでした。
−鞍馬から貴船へ(おすすめの「ひろや」)−
木の根道を抜けるとそこは貴船神社で、ひととおり参拝をすませるとちょうどお昼時だったのでお店を探していたのです。道でお店のおばさんが声をかけてきて勧めるので入ったのですが、入ってビックリ!最低でも6,500円の食事?店の中の雰囲気も「あー…」というような重い感じ。
しまったなと思ったんですが、豆腐料理が食べたかったので「豆腐料理は?」ときくと、無いとのことだったのでそれを理由にそのお店からは出ました。「ほっ」
結局私たちが入ったお店は「ひろや」という高級老舗(旅館)だったのですが、ミニ豆腐懐石(4,000円)を頼みました。ここは本当にお勧めです!
川のせせらぎの聞こえる座敷(個室)に通してくれ、そこで食事をするのですが、とても贅沢な雰囲気と時を満喫できました。おなかもいっぱいになるし、帰りは駅まで車で送ってくれたりもするのです。とてもラッキーでした!
その足で叡山電車に乗り、宝ケ池で乗り換えて八瀬遊園下車、ケーブルカー、ロープウェイと乗り継ぎ比叡山へ。シャトルバスに乗り天台宗総本山の延暦寺につきます。延暦寺は寺が一つあるわけではなく、いろいろな建物が集まったもので、想像していた以上に広く数時間で回るなととてもできない大きさでした。帰りの京都行きのバスが16:30でなくなってしまうのであまりゆっくりとは回れませんでしたが、厳かな雰囲気のあるいいところでした。
−天河大辨財天社−
「私たちがここに来ることは決められていた。」そんな感じがしました。というのはこの旅行に行く前にスケジュールをたてていたのですが、天河に行くのは11月の2日しか考えられなかったんです。それが当然であり、ほかには考えようがなかった… 何故かはわかりませんでした。
旅行に行く前は毎日が本当に忙しく事前に下調べのできる時間がなかったので行くまで何もわからなかったんです。
近鉄電車大和八木駅で下車し、レンタカーを借りて走ること約1時間半くねくねの峠道のようなところを走ります。天河への旅は2度目だったので道も見覚えがあり、すんなりとつくことができました。着いてすぐに鳥居をくぐり手を清めてから祭殿のほうに行ったのですが、5月に行ったときとは比べものにならないくらいの人で埋め尽くされています。「うぁ、なんなんだろ?」という感じでしたが、宮司さんの話を聞いているうちにやっと理解できたのです。今年の11月2日は天河大辨財天社の大祭で新たな時の始まる日で特別な日とのことだった。
ご真言の「オンソラソバテイエイソワカ」を全員で唱えたときはその場がすごい氣で満たされたのがわかりました。
音楽の奉納ではカント氏の演奏が本当に素晴らしかった!笛の音とハミングが心に響くようで体が震えるほどでした。そのときにエネルギーを感じ瞑想してみたのですがエネルギーの渦(ヴォルテックス)に包まれとても気持ちがよくできました。
神と一緒になる儀式(なんというのか忘れてしまいましたが)で参集殿にて柿の葉ずしをいただきました。(お昼代が浮いてしまった…)
その後、能舞台での能『杜若(カキツバタ)』の奉納があり、本格的に能を観たのは初めてでしたが冷たい風の寒さにも関わらずそのすばらしさに最後までのめり込んで観てしまいました。
大祭の最後に餅撒きがありましたがラッキーなことに私たちは2つづついただくことができました。
私はなぜか天河にいるとき「ここに喚ばれたんだな」という思いが常に頭にありました。
天河パワーを十分に受けた素晴らしい一日となりました。
−三十三間堂−
国宝の千手観音立像が1,000体も祭られている三十三間堂。京都に行く機会があったらぜひ寄っていただきたいと思います。
本堂の中に入ってみると誰でも感じることができると思うほどすごい力で満たされています。人によっては足が重くて動かなくなったり極度に眠くなってしまったり、頭がボーッとしたりと反応があるようです。
修学旅行生の女の子が「なんかここに来てからすごく眠いの」と言っていました。「きてるな!」って思いましたけど…
(三十三間堂)←クリックで写真表示
「宇宙に偶然はない」・・・ まさに私の旅行も偶然ではなかった。
(98/11/11)
ボブ・ディランのうたう『Blowin' In The Wind』を知っているでしょうか? 1962年に作られた曲で私の生まれる5年も前のものですが、最近やたらと気になっているメロディで、どんな内容をうったえているんだろう?と思っていました。
ふと、CD店で見つけたボブ・ディランのベストCDを思わず買ってしまいました。「1曲目…Blowin'
In The Wind」
「いつになったら平和はやってくるのだろう?」という問いかけに対し「こたえは風に舞っている」と返す…
意味深いと思いませんか?
なぜか、この詞をだれかに見てもらいたくなりました。というわけで、訳詞をご覧下さい。その下原文(英文)
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風に吹かれて
/Bob Dylan
どれだけ道を歩いたら
一人前の男としてみとめられるのか?
いくつの海をとびこしたら 白いハトは
砂でやすらぐことができるのか?
何回弾丸の雨が降ったなら
武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている…
幾年月 山は存在し続けるのか
海に洗いながされてしまうまえに?
幾年月 ある種のひとびとは存在し続けるのか
自由をゆるされるまでに?
何度ひとは顔をそむけ
見ないふりをしつづけられるのか?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている…
何度見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をつけたら偽政者は
民衆のさけびがきこえるのか?
何人死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている…
==============================================
Blowin' In The Wind
/Bob Dylan
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer,my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
Yes, 'n' how many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free
Yes, 'n' how many years can a man turn his head,
Pretending he just doesn't see?
The answer,my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
Yes, 'n' how many years must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
The too many people have died?
The answer,my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
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(98/10/18)
会社で講習会に参加させてもらえる機会を得て、外部のセミナーに行ってきました(10/14〜16)。「効果的コミュニケーション・スキル」というたいとるのとおりコミュニケーションについてのセミナーです。自分でこの講習会を見つけて、行くと言っておきながらなぜか始まる前には不安な感じがしました。演習が多いうえにコミュニケーションというジャンルとあって"何をさせられる"んだろうか…とちょっと不安でネガティブな気持ちになっていました。
しかし予想に反して、「今までにこんな楽しい講習会は無かった!」と思えるほど楽しいものでした。また、自分への気づきもありました。
何の気なしに使っている言葉、何気ない行動がコミュニケーションを阻害していたり、ものの言い方一つで人をその気にさせたり意固地にさせたり、コミュニケーションの方法は使い方次第でとても有用なものだと感じました。
誰かを説得するにも、技術がいるんですね?
こんな事って、長年の経験から培われるもで到底私には…とあきらめていたんですが、なんらかの手応えを感じました。
あと、人の印象って言うのも大切ですね。パーティトークでそれぞれ話した人と相手の印象について(良いと思われる部分)書いてもらう演習がありました。そこでの私の印象はこんな感じです。
・笑顔がいい。
・裏表がなさそうでオープンな感じ
・最初の印象よりも実際話してみたほうが明るい印象があり、顔での表現が豊か
・静かそうに見えるが、バシッと物事を言えそう…
・いい意味でマイペースそう
・仕事に厳しそう… などなど
だそうです。
実際に私を知っている方はコレを見てどう思うんでしょうか?
ここでは書き切れませんが、コミュニケーションについてだけでなく、様々なことに気づかされた3日間でした。
ところで、「ジョハリの窓」ってしっていますか?
自分自身のことを
・自分も知っていて、他人も知っている部分を開かれた窓
・自分は気づいていないが、他人は知っている部分を気づかない窓
・自分は知っているが、他人には知られていない部分を隠された窓
・自分は気づいていないし、他人も知らない部分を暗い窓
とういんだそうです。
どの窓が大きいのか?で人のタイプが分けられる。
人間関係にとって理想的なのは開かれた窓が大きいタイプ。さて、あなたはどの窓が大きいのでしょう?
(98/10/16)
最近になって、ふと思うことがあったので…
毎日を「不満だ」と嘆きながら生きる人、その反対で何事にも幸せを感じて生きる人いろいろな人がいると思いますが、しかしその違いはその人のものの見方に他ならない。
私が経験した幸せって…
私は3年ほど前、右足の甲の骨をボッキリと折ってしまいました。それもその年の正月の3日に。その時は、先のことを考えて「あー、どーしよう!明日から会社が始まるっていうのになんて不運なんだ、ついていないな…」足の痛みと、当面の不安、不自由な松葉杖での生活と気は滅入る一方でした。松葉杖はこの時初めてお世話になりましたが、とても辛い体験でした。普段使わない筋肉を使うため筋肉痛での二重苦、真冬だったため雪iなどの悪天候の中での危険な思い等々。この時、他人事でしかなかった"松葉杖で歩く人"を違う立場から見ている自分に気づきました。実体験がなければ他人の苦しみもわからなかったのでしょう。
そして、会社の同僚には感謝しています。早く治るようにとカルシウム錠を買ってきてくれたり、代わりに昼食を買ってきてくれたり、いろいろと気づかってもらいました。 そして、今はなくなった父にも。 会社に行くときには車で送っていってもらったり、帰りは迎えに来てもらったりと苦労をかけてしまいました。 この時はいろいろなこと、いろいろな人に感謝の気持ちをもてた時期でもありました。
完治まで2〜3ヶ月かかりました。そしていつも通り歩ける事、 何気ないことなんだけど、「歩ける」っていうことがこんなに幸せなことだったのかと思い知りました。 この怪我がなければ、「歩けるって幸せ」なんて絶対に言えなかったでしょうね。
苦難があって初めて何気ない毎日を見つめることができたのか?
でも、ものの見方を変えてポジティブに転換していくことで何気ない毎日も幸せな毎日に変わっていくのではないでしょうか?
ちょっとこんな事を感じたこのごろです。(98/10/13)
9/26(土)〜27(日)には4月、6月に続いて3度目の七沢温泉(宇宙瞑想パーティin七沢温泉)旅行に参加して来ました。
あいにく雨降り続きの2日間の行程でした。雨のにおいを感じながら、湯けむりの中の露天風呂もいいものでした。
今回は行く前から仕事疲れのせいか、身体の疲労が非常にたまった状態だったので、気功マッサージに期待していましたが、やっぱり効きましたよ。 頭がすっきりして… 今回で3回目の気功マッサージの体験ですが回を重ねるごとに激痛?はなく、気持ちいい感じになるようです。マッサージ前と後では受けたみんなの顔つきが変わったらしいです。
何かの縁なのでしょう。最近より七沢荘で病気治し?のアルバイトをしているというO氏と出会い、宿泊部屋でのミニセミナーが行われました。
光の瞑想は、実際にしてみたのですが、手からパワーがみなぎるような感じがして素晴らしい体験でした。自分でも家で行ってみようと思っています。レイキの施術者としての私はパワースポットや場の気に反応して手が熱くなるようになっているのですが、始めてすぐに熱くなってきました。
この時の一連の話の内容の中には私には「んー…どうかな?」と思うところもありましたが、取捨選択。よいものとして感じられた部分のみを自分のものにしたいと思っております。
がいろいろ感じたことがあります。
何がよくて何が悪いなんて、わからないことで、その違いなんてないのかもしれない…やはり私は物事は思いようだと思います。「自然の技を使って金を取るのはみんな偽物」 何を根拠にそう言うのでしょうか?それはそのひとの意識次第(思いよう)ではないかと思います。金は汚い、卑しい…そんなことを思えば金は汚く卑しいものになり、金は使いようによって、また払う側受ける側共の意識がポジティブなものであれば決して汚く卑しいものではないのでは…
例えば、私が金を出します。脅し取られる金と、かたやセミナー(満足のできた)に支払う金では意味が違います。気持ちよく出せるもの、イヤなしこりの残るもの。この二つは同じパワーを持つとは私には思えません。
私に当てはめれば、私はレイキのセミナーで講習料をいただいていますが、偽物などでは決していないと思っています。セミナー受講者の中にはとても喜んでいただき、お礼の手紙までもいただいたりしています。
世の中の人は「無償の奉仕は、清らかなもの」、金の絡むものはそうではない。とかく金をもらうことについてはネガティブな意識が付いて回るようです。 でも、私たちは働き、その対価を得る。当たり前のことだといえるでしょう? そんなネガティブなものを得るために働いているわけではないでしょう…
使うにしても、受け取るにしても、やはり意識次第でしょう。
私は喜んでもらえる人のため、自信を持ってこれから先も今のセミナーを続けていきます。
最後は、なにか関係のない話のようになってしまいましたが、これも今回の旅行の中での気づきの一つなのです。
主催の福島さん始め参加したみなさん、お世話様でした。またの機会を楽しみにしています。 (98/09/27)
神様もう少しだけ
『神様もう少しだけ』というドラマが放映されていましたが、先日終了しました。ご覧になったかたも多いかと思いますが、今までにないドラマだったと思います。
女子高生、真生(まさき)は援助交際していたときに交渉を持った男性からHIVウィルスに感染してしまう。
これからドラマが始まり…嫉妬や妬みにより悪意を持つ女性にHIV感染者だと噂を広められてしまう。学校では仲良くしていた友達にもその噂によって裏切られそしていじめが容赦なく真生の心を追いつめていく… それは人としていやな部分、でも世の中の現実かもしれない。
救いはミュージシャンの啓吾が唯一の真生の心の支えとなっていること… 大切に思える人を全身で愛するということがどういうことなのかを教えてくれているようでした。
なぜ今までにないドラマなのか…人の心の現状を映しだしているところ。見終わった後には悲しく陰鬱な気分になったり、愛の重みを感じたりします。
真生の生き方はあくまでも前向きに生きようとする生き方をしている。彼女の生き方は私を感動させてくれました。先日、故黒澤監督の『生きる』の感想でも書いたことですが「今しかないから今を精一杯」と同じなのでしょうね。
"真生"(まさき)という名前=真に生きる。がそれを象徴しているようでした。人間として生き方、人生の過ごし方、愛、幸せ…を教えてくれるドラマで、大変私にとって有用なものでした。
真生はすでにAIDSを発症しており、気をつけなくては毎日が死と隣り合わせの状態になっている。
啓吾は真生との間に生まれた「幸(さち)」を抱きながら言う。「お前、本当はいま生きたくてたんまらないんだろ?幸を見ていて欲が出たんだろ?歩いているのが見たい、しゃべっている声が聞きたい、もう少しもう少しって…人は生きていたら欲が出る。悩んだり、苦しんだり、死ぬのが怖くなる。けどこいつを見て見ろ。幸は明日の心配なんかしていない。ただ毎日息を吸って、ミルクを欲しがっている。必死に生きているだけだ。生きているってことはこういうことなんだ。いま、この一瞬を見るんだ。真生がいる、幸がいる、俺がいるそれで十分なんだ。それだけで幸せじゃないか…」
「この一瞬を見るんだ」ここが大切だと思います。過去を振り返って悔やんでみたり、まだ起こってもいない未来を案じたり… 何の役にも立たないつまらないことなのかも…
感じることがたくさんありすぎて語りきれないところですが、私はこのドラマから多くのものを受け取りました。
私には大切で愛する人もいます。幸せを感じながら今この時を生きたいと思います。
私はこのドラマの制作者に感謝します。(98/09/22)
黒澤明監督が先日逝去されましたが、僕が黒澤監督作品で一番感銘を受けたのは『生きる』という映画です。
シンプルなタイトルながら内容は人間の生の意義を考えさせられるとても意義深い映画です。
見たことがありご存じの方もいるとは思いますがあらすじを少し…
地味で目立たないある市役所の一課長の主人公、毎日同じのお役所仕事を数十年。
ある時、主人公は胃の検査から胃ガンであることを知ってしまう。そして絶望感に浸る。
そんな時、ある貧民街の公園が、雨が降るたびにひどい水たまりになっている。公園として機能せず、また衛生面も悪く住民達は悩まされていた。住民達は市役所に陳情に出向くが、「それは土木課です」「そういった件は環境課!」「いやウチじゃない厚生課だ」とたらい回しにされてらちが明かない。 普段ならお役所仕事を淡々と進める主人公なのだが、住民達のため残りの人生を賭けて公園の整備を行う決心をする。既成のお役所悪制に立ち向かい念願は果たされる。
雪の降る公園のブランコに揺られながら、「♪命短し恋せよ乙女…♪」とゴンドラの唄を楽しそうに唄う主人公…
いろいろな取り方はあるのでしょうが、私はこう思います。
主人公は目覚めました。初めて”生きる”ということに… 自分の命が短いことを知り、今まで死んだように感じていた自分の人生を最後に”生きた人間”として一花咲かせたかったのでしょう。
彼は死の直前には満足のいく人生が送れたと感じられたことでしょう。
でも今、私たちがこの時に、本当の”生きる”ことに気づき、実践して行けたらどんなに有意義な人生となることか。
「先があるから後でする。」では無く「今しかないから今を精一杯」でなければ… ゴンドラの唄の歌詞「命短し恋せよ乙女…」はそれを暗示して表しているのでしょうね。
改めて”今を生きる”ことの大切さを感じた今日でした。(98/09/14)
今日は地球交響曲<ガイヤシンフォニー>第2番/龍 村 仁 監督作品(ドキュメンタリー映画)を見てきました。今回が初めてなのですが、今までは無料招待券が当たったのにもかかわらず券をなくしてしまいだめになったり、行こうと決めていたのに当日になって急に行けなくなったり…となぜか行こうと思うと直前につぶされていたんです。 先日、七沢温泉で知り合いになった方から「ガイヤシンフォニーが府中でやっているんで上村さんにどうかな?と思って…」と電話があり、最近ちょうど行きたいと思っていたのでいいタイミングのお誘いでした。
内容ですが、良かった!ですね。
『森のイスキア』主宰の佐藤初女さん、素潜りで100mを超える記録をつくったジャック・マイヨール氏、SETI(地球外知的生命探査)研究所所長のフランク・ドレイク氏、チベット仏教最高指導者14世ダライラマ法王らの心のこもったメッセージで綴られています。
私は中でも「人は全て人のために生きるように生まれてきて…それが至福の喜びとなる…」という言葉が印象に残っています。
また、ダライラマがとても無邪気な少年のような心を持った人だと感じました。『セブンイヤーズ・イン・チベット』を見たくなりました。
この映画はまさしく地球に生きるもの、私たちが気づかなければいけないことを違う角度から多く語っています。宇宙との一体、愛、宇宙観、心の持ち方等々。
優しい気持ちになれました。
まだ第1番、第3番を見ていないのでぜひ行きたいと思っています。
まだ、地球交響曲を見られていらっしゃらない方は一度見てみてはどうでしょうか?
地球交響曲<ガイヤシンフォニー>は日本各地で上映されております。下記のURLを参照していただければ上映館など詳細が解ります。
オンザロード(オンザロードは『地球交響曲<ガイヤシンフォニー>』の制作配給をしている会社です。)
P.S.
きっと私にとって完璧なタイミングで訪れた機会でなのでしょう。増田さん、誘っていただきありがとうございました。
(98/08/29)
富士山の植樹のボランティアに参加してきました。
富士山の自然を守り、植樹をして100年がかりで富士の緑を再生しようとしている団体があります。それは「富士山ナショナルトラスト」という団体でボランティアで活動されています。
今、富士山は雪崩でえぐられたり台風で傷ついたりしています。また4WD車で荒らし回る人たちもいるそうで…
実際に自分の目で見てみたいと思い参加しました。というのは実のところ私は富士山には登ったことがなく間近で富士を見るのはこのときが初めてといっても言いくらいでした。遠目で見る富士はとてもきれいで美しいのですが、その山肌を実際にみてみると細かい砂利状の溶岩が敷き詰められたという感じでした。それに夏ということもあってかかなり熱を持っていて熱いのです。、植物が植生しているのとそうでないのではその温度差が大きいらしいのです。つまり植物があったほうが温度が低くできる。
正直言ってこんな所に植樹を?と思いましたが、この地にはバッコヤナギという高山性の植物が良く育つと言うことを長年の研究で確証されたとか… 実際には植樹自体は行わなかったのですがコバギボシという野草を採取しました。
富士山の原生林をみましたがとても感動的でした。神秘的な風景を堪能しました。
そんな風景を乱すもの”ごみ”が無惨にも捨てられていました。それもプラスチック容器やバケツ、キャンプ道具など…なにもこんな所に捨てなくてもいいのにと思いました。人それぞれ意識が違いますが、多くの人が気づき環境問題に目を向けてほしいものです。もう、確実に自分のことばかり考えていればいい時代ではなくなってきていますよね。
”天に向かってツバを吐く”と同じことなんでしょうか。
(98/08/27)
「♪かーごめかごめ かーごのなーかのとーりーは…♪」 このメロディーが頭の中に流れてきて、そしてイメージがどんどんと出てきたのです・・・
これは、夏休み中に富士山へ行くとき高速道路で立ち寄った足柄サービスエリアの散歩コースでの出来事です。 連れと何気ない話をしていたときあの「♪かーごめかごめ…」のメロディーがながれある思いがわき上がってきました。思わず「カゴメって知ってる?」と私は今までの話とは何の脈略もない話を連れに話しはじめました。
この歌ってなにか変だし、気持ち悪いねぇ?
"カゴメ"=六角形、 "夜明けの晩"ってなに?意味不明だよ。 "鶴と亀が滑った"=鶴と亀は縁起のいい象徴だからきっと不吉なことなんだろうか? "後ろの正面"=変な言い回しだね。「後ろは誰?」ならシンプルだけど…
連れも変だと思ったでしょう。こんな話を急にベラベラとし始めたんですから… このときはこんな会話で終わりました。
実は富士山へ行くのは「大宇宙のささやき」【http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/gurigura/sasa/】の宇宙瞑想パーティー主催者の福島さんが呼びかけた富士山登山&富士山の植樹ボランティアに参加するためでした。詳細については後日書くことにして、その夜は親睦のためいろいろな話を数名で話していたのです。その中で次元の話が出ていたとき、その時の参加者の一人がある本のコピーを出してくれました。
それを見たとき、凄い衝撃が走りました!なんとそのコピーの最初からかァごめ かごめ・・・と始まっているではありませんか!コレは間違いなくメッセージだとその時悟りました。 このコピーの元の本は『2013:人類が神を見る日』(半田広宣 著/徳間書店)というもので、私はこの本と出会うためのメッセージだと感じました。
家に帰った後早速『2013:人類が神を見る日』を買い、読んでみました。このカゴメについての一文を紹介してみましょう。
かごめとは籠の目=六茫星(ヘクサグラム)を意味し、鳥は人間の霊性を。籠の中の鳥というのは六茫星のなかに閉じこめられた人間の霊性ということになる。そして、「夜明けの晩」とは始めは終わり終わりは始めという宇宙秩序の円環的な性質のこと。「鶴と亀がすべった」の鶴は女性、亀は男性。すべるは"統べる"からきておりこれは「陰と陽の統合」ということになる。 後ろの正面とは他者が見ている自分に他ならない
この答えは意識進化の方向性とは他者をも自分自身と同一のものと見なす意識の方向のことなのだそうだ。
愛の源泉として機能…
この本『2013:人類が神を見る日』は人間の意識の進化がこれからすぐにやってくると書かれています…ここでは語り切れません。
うまく説明できませんが、私としてはこの本を理解できました。
読みにくい本ですが何度か読むときっと完璧に理解できるような気がしましす。(98/08/27)
外勤先から中央線での帰路、神田を出て少しして”交通博物館”が窓の外に見えました。
懐かしい思いがわき上がってきて…
そこは亡くなった父に幼い頃よく連れていってもらった場所でした。
私は高校生になったくらいから何故か父を遠ざけていました。亡くなる少し前までそれが続いていて、心を開けるようになったのは父が病気で入院してからの話で、これからいい関係を…というときに亡くなってしまい、私自身とても心残りでした。
電車の窓から見えた先頭部だけの新幹線。それを見たとき幼い頃の思い出がよみがえりました。
40歳過ぎになった父が5歳の私を連れている…喜ぶ子供の顔をみて、そして微笑んでいる姿が一瞬のうちに甦りました。 あの時から二十数年、そして父が亡くなってから1年数ヶ月にもなるのに…そこに父のとてもあたたかい時空を越えた愛を感じました。
心にジーンとくるものがこみ上げてきて、そして懐かしさともの悲しさ…
しかし私はとても幸せな気分になれました。これは私への何かのメッセージなのでしょうね。(98/07/03)