99/07/27~99/12/28


私の1999年(99/12/28)

意志と病気告知(99/12/23)

与えること、受け取ること(99/12/16)

Y2K問題前哨戦??(99/11/22)

誰かに常識を語ること(99/11/18)

私の結婚秘話(おかしな直感)(99/11/14)

私たちに出来るボランティア(99/11/11)

直感と現実選択(99/10/29)

やってはいけないこと(99/10/01) 

何もしない鍼灸師(99/09/30) 

私たちの可能性について(99/09/12)

治し方〜いろいろ(99/08/19)

幸せな現実創造(99/08/02)

高次の自己からのメッセージ(99/07/27)

 

MyRoom#10(03/07/02〜04/05/31)へ
MyRoom#9(03/01/01〜03/06/20)へ
MyRoom#8(01/07/31〜02/12/31)へ
MyRoom#7(00/07/21〜01/06/19)へ
MyRoom#6(00/01/06〜00/06/23)へ
MyRoom#4(99/01/06〜99/06/20)へ 
MyRoom#3(98/07/03〜98/12/28)へ
 
MyRoom#2(98/01/30〜98/06/23)へ
 
MyRoom#1(97/11/03〜97/12/31)へ 
MyRoomメインへ戻る 

HOMEへ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の1999年

 今年も残すところあと数日。1999年、1900年代最後の年が終わってゆこうとしています。
「私にとっての1998年はいままでの人生の中ではなかったような変革があり、そしてそれが実感できた年でした。」と1998年に語っていた私。
私にとっての1999年はさらにさらに今までなかったような変革がおこり、すごいことになったぞ!と実感しまくって今に至っているのです。
 人生の中で起こりそうな重大事が、今年一年を狙ったかのように集中して起こってきたのです。
まずは、勤めていた会社を辞めたこと。やはり、辞める時には随分と心を悩ませたりもしましたが、最終的には自分自身としての人生を考えて悔いの残さない選択をしようと思い、心を決めました。リストラとかではなく自主退職です。
私は子どもの頃から神秘的なものや心、精神の世界に興味があり、漠然とはしていたもののそれらを考えたり、実践しているときは心の中も落ち着いていることが多かったのです。
私は、レイキを中心として世に広め、また、心の世界に通じ、癒しを人々に与えるセラピストになりたいと考えました。
今は大きく考えて、意識の世界で覚醒するためのお手伝い役としてやっていこうと思っています。そんなわけで、私の職業は一サラリーマンから自分でやっていく形へと変わったわけです。
 そんな決心をしたのは、結婚を決めた2週間後のことだったのです。その結婚も不思議な体験に端を発して至ったわけですが…(私の結婚秘話(おかしな直感)参照してください。)
当然、相手の両親に結婚の挨拶に行くわけですが… そして行きました。そこでは終始朗らかに時が過ぎていきました。
結婚の挨拶に行った数週間後には、退職する旨、また、今後はどんなことをしていく予定なのか等々と報告することになって、さぞかし突飛な男だと思われたことでしょう…(^_^;)
でも、これだけでは済まなかったのです…(=_=;)
その、退職等々報告の1ヶ月後に、結婚相手(もちろん今は妻ですが)の妊娠が発覚しました!! 2000年ベイビーです。
私は、来年2000年には父親になってしまうのです。
私たちはもちろん、相手の両親は面食らったことでしょう…
さらに、大事が続きます。妊娠した当時、私の妻は胃の具合が悪く、自律神経の調子が不安定な時期だったため、医者から精神安定剤を処方されていたのです。その直後の妊娠発覚です。妊娠を体験された夫婦のかたはもうご存じでしょうが、妊娠時の薬の服用は大変注意しなければならないのです。特に精神薬は。
妻の飲んでいた薬は妊婦禁忌薬にはいる薬でした。私はあらゆるメディアからその薬のこと、妊娠時の薬服用と薬害についての情報を集め勉強しました。
最終的には妊娠を続けるかどうかの判断は私たちにあるので決めなければなりません。私たちそれぞれの心は大きく揺れ動きました。
最終的な判断は、産むことに決めました。その期間は本当に時間の密度の濃さを感じた時期でもありました。
大きく安心できたのは、私はインターネットで調べていてわかったのですが、妊婦と薬に関する相談を受け付けてくれる機関があることを見つけだしました。「虎ノ門病院」の薬剤課というところです。
ここでは、薬を服用したことでの不安や恐れから、不要な中絶をしてしまう妊婦が多いので、それを防止したいという観点から行っているところだそうです。予約制で、事前に薬を服用したことに関する問診票(飲んだ薬の種類、量、時期等)を事前に書いて郵送します。
その後、指定日に病院に出向き、医師、及び担当薬剤師を交えて説明をしてくれるのです。
薬に関して、本当に詳しく丁寧な説明をしてくれて、ここまで調べてくれたのか…と感動するほど多岐にわたって調べてくれていました。学会報告、研究文献、迷信、言い伝え…など。
私たちの妊娠(もちろん妻ですが)は結局、「普通の妊娠と同じです。」と言われ問題が無いことがわかったのです。どんな本にも悪い結果となるようなことしか書かれていなかったのに…(いくら医学書でも、本の内容をまるまる信じるのも考えものだなぁ…と痛感。)
私たちはこれで、本当に心の底から安心しました。
いまとなってはこの経験は私たちに必要な経験だったのだと確信しています。より、心の絆が増したように思えるからです。

 そして10月に、アバターコース(意識を探求するテクニックのコース)を修了し、自分の信念が経験を創り出しているということが漠然とではあるけれどわかるようになり、続いて11月末から、アメリカ、フロリダ州のオーランドで開催されるマスターコースに参加するに至ったのです。
ここでは、もっともすごい経験をすることになりました。まさに、現実のものとして「自分の信念が経験を創り出す」を実践できたからです。
これについては、AVATARのHPを作る予定なのでそこでの体験談としていずれお知らせしたいと思っています。

帰国後、親戚のみで結婚式と披露宴を行いやっと落ち着いたという今日この頃なのです。

今年はこんな形で、とても動きのある一年となりました。
しかし、来年西暦2000年も考えただけでも大きな動きのある一年となることは必至でしょうね。
悲観的になんかなっていられない!!
やはり私は、人生は面白おかしく楽しく楽に… と生(い)きたいものです。こんな考えでもいいんじゃない?
来年もよろしく!

(99/12/28)

ページTopへ






























意志と病気告知

 患者への病気の告知に関しては、その病名、進行度合、その他もろもろの要素がその判断材料となるのだろうが、人それぞれ考えがあって賛否両論なのだろう。
 私は3年半前に父をガンでなくした。肺ガンでその種類は腺ガンというタイプであった。
検診でレントゲンになにか影がある…という事実から始まって、再検査、再々検査、入院、手術と時とともに進んでいった。やはり、家族のこととあって肉親、親戚ともに心が結束した。当時、なぜか父には告知をしないという家族親戚の暗黙の了解があった。
父の場合、ガンが進行して衰弱しながら亡くなったのではなく、術後の経過が思わしくなく、肺炎から臓器不全になってしまい亡くなってしまったのだ。だからガンと闘病というかたちではなかったが…
 家族が病気の場合、やはりたすかってほしいと願うのが家族の心情であろう。
ここで告知について考えてみたい…
私が考えるには、病気は医師が治すというものではない!病気はあくまで自分で治すのだ!他者は自分にとって精一杯の愛をもって患者に対して手をさしのべサポートをするだけだ。
あくまでも主体は患者その人にあるのだ。つまり、患者は自らの病気を知らずして病気に相対して戦うことができるのであろうか?
こんな例えはどうだろう? あなたは何者か得体の知れないものに命を狙われている。それがどの程度の数なのかも、どんな武器を持っているかも知らない。さぁ、あなたはこのまま命を落とすか、相手と戦うか?
ここで戦うにも相手を知らずに何が出来よう。それ以前に戦うという意志を持てるのだろうか?
ここで相手を認識し、データなりなんなりがわかればより明確に意志を持って対していけるのではないだろうか?
最悪の場合、命を狙われていることすら知らずに死んでいくこともあるかもしれない。
 私たちそれぞれの意志の力というものは強力だ!いままで生きてきた中で自分の意志以外で決定することなんてあり得ない。
いや、そんなことはない…と思っているあなた、本当にそうでしょうか? 他人の強制によって決めたこともあると?
それでも結果的には自分で受け入れたのでしょう。その他人の意見というものを。あなたの意志によって。
 自分が”意志を強く持つ”ということは自分の現実を作るためには欠かせないものなのです!
病気治癒への道は他力に頼りきっていたのでは、実現しない。本人が本人として「病気を治す」という意志のもとそれを現実として受け入れて今できることを精一杯やるだけ。それが病気の完全治癒への道だろう。不安や疑問を越えて「病気を治す」と自分自身が決めるのです。あとはそれに向かってエネルギーを注ぎ込むのみ。
 ここで挫けてしまうひともいるかもしれないが、残酷なようだが最終的に決めるのはその人の意志ということになる。
人生は自らの意志によって創られる。

(99/12/23)

ページTopへ






























与えること、受け取ること

 私は以前、故マザー・テレサ女史の在りし日の活動を納めた映像を見たことがある。
「死を待つ人の家」 これはそのごとく、これから死を迎える人の最期の場所だ。瀕死の状態で道に倒れている人に対して、優しさに溢れたなかで最後を迎えてもらおうというもの。よって瀕死の彼ら彼女らはシスターたちによって「死を待つ人の家」に次々に迎えられる。
ここで誠心誠意のケアと愛を受ける。シスターたちは幸せに満ちた優しい微笑みをたたえている。
死を待つ人々も、人の優しさ、愛に触れ感動の涙を溢れさせて死を迎える。
 私には、マザーテレサ以下これらシスターたちの行動を善意のものと理解をすることはできても、彼女らの言う「ただ与えることが、至福の幸せ」だというその言葉がどうしても理解できずにいた。
確かに素晴らしいことだと思う。でもなぜ?わからない…そんな私でいたがしかし…その意味がわかってきたのだ。
例えば誰かに対して善意の気持ちで行動をしたとき、それも何の見返りを求めることなく、自分が自分の意志として行動した時、頭の思考のレベルを離れた満足感を得られたことはないだろうか?心がスッキリした感じ?
これが与えることだとすれば、何の苦痛もない。そしてその満足感や心の爽快感は自分に対する贈り物なのかもしれない。見方を変えてみれば私が与えたことによって受け取ったプレゼントなのだ。
それは、その存在に対しての感謝の気持ち、許し、共感から生まれる感じだ。また愛するとはどういうことなのか?
それは、そのすべての創造を認め、それとして許し、それごと心で味わう。これが愛なのではないだろうか?それに注意(エネルギー)を降り注いで味わう=コレも与えることなのかもしれない。美術作品を鑑賞するように味わう。
そのようにとらえるならば与えることは決して苦痛なことではない。いや、それは幸せなことなのかもしれない。
とかく人は思考のレベルでその人なりの価値判断を与えてたがる。「これはいいことだ。」「それは非人間的だ!」などと…
許しや共感以前に判断を下してしまう。このレベルで"考え"ている以上、愛とはかけ離れていくものになる。

(99/12/16)

ページTopへ






























Y2K問題前哨戦??

 ニュースなどで既に報道されていることだが、東京の板橋区、練馬区、豊島区、杉並区、そして埼玉県南部を突然停電がおそった。
原因は自衛隊機が墜落した際、基幹の送電線を切断してしまったためだとか…
 私は停電が起きたその時はパソコンに向かってデータの入力を行っている最中でした。何の前触れもなく電機製品の全てが動かなくなった。
「ブレーカーが落ちたのかな?」と分電盤をみても落ちてはいないし…何となく不気味な静寂につつまれていた。
しばらくすると外がにわかに騒がしくなった。「おたくも?」「じゃ、ここら辺みんなかねぇ…」「これじゃ、商売にならないじゃないかー」と近所の人々が表へ出て口々に話している。どこらへんまでの地域に停電が起きているんだろう??知ろうにもテレビは着かないし、ラジオを聞こうとしてもステレオも電気が入らない…そして私が頼りにしているインターネットももちろんのこと。実家にいた妻に携帯電話で情報を聞き仕入れたくらいだ。
これが数日間続いたらどうするんだろうか?と考えると正直言って怖くなりました。あまりにも電機製品に頼りすぎている私たちの姿を実感しました。”情報の時代”とのかけ声の下私たちは”文化的”な生活様式に染め変えられてきた。そんななかで、いま、電気のない生活をしてみなさいと言われたら出来るのだろうか?近代的生活もライフラインのひとつでもが寸断されれば命取りとなり、都市機能も停止するに違いない。
現に信号機が停電のため数時間止まり交通システムに多大な影響を与え、給水ポンプも停電により停止し、家庭への給水がストップしてしまった。私の家ではDSU付きのTAを使っているが停電時の電池バックアップが故障していたため電話も使えなかった。
 Y2K(2000年)問題が心配されている。コンピュータ制御がうまくいかなくなるための機能停止。それに伴う混乱。
残念ながら私たちの住むこの日本は2000年問題の対応後進国である。対応し始めた時期も遅いこととも問題であったが、チップにプログラムが焼き付けられたものについては交換するどころかどのチップが対応済みでそれがそうでないのかも殆どわからないとのこと。
なかには海底深く埋め込まれているものも存在するらしい。
日本だけでなく目を広げてみれば、近隣の諸国には殆ど手が着けられていない国さえ存在するのだ。もう何が起きてもおかしくない状態というのが本当のところではないだろうか?
今年もあと残すところ1か月ちょっと。大晦日を過ごし、さて、西暦2000年1月1日午前0時0分になった瞬間、全ての機能が停止したらどうなるだろう?それも数時間でなく、数日、数週間、数ヶ月… あまり、悲観的な想像をしたくはないが、人々の心はそれに耐えることが出来るのだろうか?そんな時に利己的になるか、愛に満ちた選択をするかはその人次第ということになるのだろう。
もちろん、「何にも問題なんてなかったさ!」と笑って2000年を迎えられるに越したことはない。
 今日の停電は、私に2000年問題やいろいろなことを考えさせてくれたいい機会であったのかもしれない。
感情的になったり、他人に踊らされたりするのは、自分をなくすことになるから…
どんなときでも、「私は今何ができるか」または「なにがしたいのか」自分をしっかり持って行動する事が大切だと思う。

(99/11/22)

ページTopへ































誰かに常識を語ること

 「そんなの常識だ。」と誰かに語った事がないだろうか?その時”私”は何を基準にして”ソレ”を常識としたのか?
常識を辞書で調べてみると…「一般の人が共通して持っている、または持っていなければならない知識・理解力・判断力」(角川国語辞典より)だそうだ。
例えば、「仕事は頑張ってやる」のが常識だという人は、何を基準に「仕事は頑張ってやる」ことが一般の人が共通して持っている、または持っていなければならないと判断していたのか?それを判断していたのは他ならない自分である”私”なのだ。主眼を一般大衆に向けているようで、実は自分が「そうだ!そのとおりだ!」という意見を持っているのではないだろうか?
常識を語る上で陥りがちなことは、「それは常識だ」と言っている中で”私”がそう思っているということを認識していない。”私”が居ないのである。主眼は”私”に置かれていないで、自分以外の何者かに置かれている。
自分もそう思っていることが表に出てはこないで、みんながこうだからそうしろ。というのが当たり前のようにまかり通っている風潮が土台にあるのではないだろうか。
 常識は自分が決めているのだ。”私”の宇宙の中で。
私の宇宙は、それぞれの”私”が持っているもの。つまり、みんなの常識は決して同じではないのだ。だから常識というものは存在しない。
もっと自分を感じて、”自分”になりましょう!
そうすれば、今までとは違った物事の見え方もあることでしょう。
「私は〜と思っている。」というように、私になりきって。

(99/11/18)

ページTopへ






























私の結婚秘話(おかしな直感)

 話は突然ですが、先月私は結婚しました。
その結婚にまつわるお話をちょっと…
 私と妻(以下Kまたは彼女)は、まぁ職場で一緒の間だったので職場結婚ということになるのでしょうが、まさか彼女と結婚するとは思っていなかったのです。出会って3年、彼女に対して恋愛感情もなく、ただの同僚という位置づけでしかなかったし、それまでの私は同じクラスやグループ、職場での恋愛を嫌っていていつも同グループの人は対象外にしていたのです。
 そんな昨年5月のある日、同じ職場の後輩の結婚披露宴に呼ばれていました。その前日…
(K)私着物着て行くんで、一人だとヘンだから待ち合わせしようよ。
(私)いいよ。じゃ、新宿にするか。時間は○時ね。
こんな具合に待ち合わせを約束しました。 そしてきっかけとなる事件が起きたのはその晩のことでした。

私はその日、会社から帰宅し自宅の玄関に一歩入ると、「ガーン」と頭の中にこんなフレーズが強烈に入ってきたのです。「Kと結婚する!!」と。
わたしは、「なんだぁ?Kと結婚するだって!?」直感にしては強烈で実現性のきわめて低い話だ。と思っていたのです。なぜかその日はそのフレーズが頭の中をひっきりなしに駆けめぐるのです。気を紛らわせようと、パソコンに向かったり、テレビを見たり、風呂に入ったり…何をしても頭の中は「Kと結婚する」という考えしか出来なくなってしまったのです。ここら辺で自分自身本当に怖くなってきたんです。「きっとこれは頭がおかしくなったに違いないぞ!」「本当に困ったぞ」 こんな想いをすること数時間。寝ることにしたけど状況は変わらずなかなか寝付かれないでいましたが、いつの間にか眠りについていました。
 さて、翌朝。寝起きで考えたことは、「昨日の夜は変だったなぁ…でも、治って良かったぁ!」でした。
時間は進み、Kとの待ち合わせの場所へ行きましたが、時間がまだあったので2人で喫茶店で時間をつぶすことに…
そこで昨夜の怪現象??のことを心に思い出していて、心の中では「昨日の夜は変な想いをしたよな。目の前にいるKと結婚するだって?目の前にするとなんか気まずいな…」という心境で、私はいつになく無口でした。それに合わせてか?いつもはうるさいKも無口です。なんだかぎこちない時間を過ごし、会場へ向かうことにしました。

そして、披露宴終了。2次会の会場(歩いていける場所)へ向かうことになり、みんなで歩き始めました。私は列の後方の方にいました。着物を着ていたKも早くは歩けなかったので後方にいました。そんなことで、普段通りの会話を交わしていました。店の前の横断歩道で私とKだけが取り残されてしまい、信号待ちをしていました。
そこで、私はまた強烈な感覚を覚えました。なぜか「昨日のことを口に出して言わなければいけない」という感覚にとらわれ、言わずにはいられなくなったのです。そこで、「変なこといって悪いんだけどさ、俺、おまえと結婚するかもしれない。」と付き合ってもいない職場の女性にこんなこと言うなんて!自分でも考えられないんだけど、その時はそうせざるを得なかったというのが正直なところでしたが内心後悔しましたよ。「何でこんな事を言ってしまったんだろう!」「会社で気まずいよなぁ…」などと。
その後いろいろな話からわかったのですが、彼女も私が変な体験したその夜に不思議な夢を見たそうです。それは、彼女が私からプロポーズを受ける夢だったそうです。それで、喫茶店でそのことを思い出して気まずかったのだそうで… つまり、お互いに同じ様な時にお互いを強く意識する体験や夢を経験し、そのことを同時に思い出して気まずい想いをしていたのです。
不思議なシンクロニシティですね。この後不思議なのですが、つきあいが始まりました。
それで、驚くべきことに本当に結婚してしまったのですから。
コレがあったから結婚したんだ!と限定しようとは思いませんが、何らかの不思議な繋がりを感じずにはいられません。
これが、私の人生に影響を与えた強烈な直感でした。

(99/11/14)

ページTopへ






























私たちに出来るボランティア

 TVの報道や新聞記事によくでてくる飢餓問題、食料問題… 弱者である罪のない子供たちが一日4万人も飢えに起因することで命を落としているのです。
その事実を知れば知るほど心が痛くなります。しかし自分に何が出来るだろうか?と思い、また「私も何かしたんだ!!」と思っているのにいつの間にかその気は薄れ、自分の中からもその記事がだんだんと薄れてしまう。自分としても不本意だけどそんなことを繰り返してしまう。

そんな時に下記のような記事を知ったのです。

---
[ボランティア]
トルコにギリシャに台湾に、今年は地震の当たり年のようだ。おまけに南米では火山の爆発。そうした折につけ、救助隊の活躍を耳にするとホッとするのはなぜなのか?なにか手助けをしたいのだが、自分の糊口すらままならないこのご時世。ネットサーフィンしながらできる、ちょっとしたボランティアをしてみてはいかが?
難民高等弁務官はじめ、国連がさまざまな人道的救助を行っているのはご存じの通り。
そうした活動の一環として「ハンガー・サイト」を運営している。このホームページは、世界中で3.6秒にひとりが餓死している現状に対し、食料援助を行おうというもの。アクセスしてクリックボタンを1回押せば、カップ1杯分の食料が飢餓に苦しむ人々におくられる仕組みだ。といっても、自分が直接おくるわけではなく、協賞しているスポンサーがその費用を負担する。クリックはひとり1日1回のみ。ささやかなものではあるが、日頃の良心のうずきを、少しばかり解消するのに役立つかもしれない。ハンガー・サイトでは常時、協賛スポンサーを募集中だ。国際優良企業を目指す企業なら、スポンサーとしてバナー広告を出すのはいかが?
---

THE HUNGER SITE
http://www.thehungersite.com

にアクセスしてTOPページの「DONATE FREE FOOD」ボタンをクリックするだけ!
簡単です!(^-^)/ みなさん、これなら出来ますよね。もちろん私にも出来ます。ささやかな協力ですが確実に出来ることに喜びを覚えます。


(99/11/11)

ページTopへ






























直感と現実選択

 どんな人にも、これが”直感”だと思える体験があるのではないでしょうか?
さて、直感はどこからやってくるのでしょう?
神様からのお告げですか?不思議ですよね。
私が体験した不思議な直感をお話ししましょう。
 今年の5月、数日間VOICEのセミナーに参加していたのです。そのセミナーの休憩時間にショールームにある本を眺めていたところ、ふと目が取られるものがあったのです。『意図的に生きる』という本でした。緑色の薄っぺらな安っぽい教科書の副読本のような…とあまり印象が良いものでは無かったのですが… 表紙を見てみると”アバターの発見と開発”というサブタイトルがありました。またまた私の心には不快感が…「なにがアバターだ!なんかいかがわしい感じだ!」とぺらぺらと流してみただけで、すぐに戻してしまいました。
数か月経ったその後の話...いつものように会社に出勤して仕事をしていて、Internetで検索していたところなぜか"アバター"というフレーズが入ってきたのです。「ん?アバター?そういえばVOICEで見たなぁ…何なのかな?」程度で、またも内容を見ようともしないでパスしてしまいました。しかし数日間変な感覚にとらわれたのです。興味の無いはずのアバターがふと気づくと頭の中に浮かんでは消え、またしばらくすると浮かんでは消え…とだんだん「アバターって何だ!?」と思うようになってきたのです。それもなにかわくわくする感覚で…
そんな頃、家に帰り郵便物をみているとVOICEからの封筒が来ていて、封を切って内容物を出したとたんに、”アバターコース”というフレーズがそこで追い打ちをかけて飛び込んできたのです。
これでついに私も、「コレはきっと何かのメッセージなんだ。きっと…」と思い始めたのです。アバターとは?と調べていくと、”意識を探求する自己開発コース”だということがわかったのです。この分野に興味はあったものの、受講したいとまでは思っていなかったのです。しかし私を取り巻く様々な現実が、アバターコース受講へと向かって邁進していたのでした。(同ページ「高次の自己からのメッセージ」を参照してください。)

わたしは8月からそのコースに参加しましたが、素晴らしい体験となりました。(しかし、心理面での山あり谷ありでしたが…)
期間2か月をかけてついにアバターとなったのでした!
わたしは、現実を創造すること、信念とは、幸せになるには…理由もその方法もわかりました。

私はアバターコースを受けるべくして受けたのです。それを教えたのは自分自身であり、その現実を選択したのも自分でした。私はその現実を創造していたのです。

ところで”直感”って”迷い”がないですよね?理屈無しに「これはこうだ!」ですよね。
これがすごいことなんですよ。実は…

次に記載するときは、私の人生に大きく関わることが直感によって知らされたお話を載せましょう。

(99/10/29)

ページTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



やってはいけないこと

 久しぶりに身の震えを覚える不安な事故が起きた。東海村の核燃工場で起きた臨界事故だ。
一般住民を含め49人の被ばく者を出し、半径10Kmの31万人屋内待避という非常事態。
 私たちはこれだけの危険を冒してこれからも原子力の力に頼り続けていくというのだろうか?都心の人間は自らの近辺に原子力発電所がないので普段の危機感は薄いのかもしれないが…
 国のエネルギー政策は、弱いものいじめ的に行われてきている感がある。それは、原子力施設を置く代わりに莫大な助成金をその地方団体に支給するというものだ。金を餌に、そしていい加減な安全に対する説明のもと不利益をもたらされているのだ。
私は以前、某電力に関係する企業の関連会社に居た経験があり、何度も原発の安全性に関するセミナーや、実際の原発施設見学なども行った。そこで不信に思ったのは、どこでもその説明の際にこんな言葉を使うのだ。「絶対に安全」
”絶対に・・・”というのが一番信用できない。ましてや人の生命の危険、いや人類、地球の生命をも侵してしまう施設なのに…
 では、私たちは何をしていけばよいのだろうか?今回の事故で様々な専門家がメディアにでてコメントしているが、「このような事態が起きてもやはり現実には、これからも原子力発電に頼らざるを得ない」と言っている。そんなことを言っていたら事態はこれからも何も変わらずに今回の事件のほとぼりが冷めたらまた表立たない同じ現実が継続し続けるのではないか!
”選択の余地がない”と選択肢の数を狭めるよりも私たち一人一人のレベルで考えてみるだけでも意味のあることではないだろうか?
私たち一人一人が考えていることもやはりそれぞれ違うし、前提となる考え方もちがうのだ。これから先もっともっと電力需要が上がって行き続けるという前提に凝り固まりすぎてはいないか?これを当たり前のように受け入れてはいないだろうか?
ここから考え直してみると選択の幅、考えの幅が広がらないだろうか?例えば電力需要を今後下げて行くにはどうしたらいいのだろうか?原子力に代わるエネルギーは無いのだろうか?と…
私たちにとって”やってはいけないこと”というより”やるべきこと”は一人一人の力は小さなもので意味がないなんて思わずに想像するだけでもいいから考えてみてはどうだろう。人の意見を鵜呑みにするのも自分の判断、可能性を創造するのも私たちの心次第なのだから…
幸せな現実を創造する第一歩は、私たちそれぞれが「幸せになるには?」と一瞬一瞬の選択にある。
小さなレベルからでもいい、幸せな現実を創造しましょう。

(99/10/01)

ページTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もしない(鍼はうたない)鍼灸師

 森田健氏の著書 『不思議エネルギーの世界3』に紹介されている鍼灸師で医学博士の石井先生のところへつい先日行って来ました。
”カルマを消す霊的治療の医学博士 石井健之助”と銘打たれたタイトル。
 細かい話は本を読んでいただくとして… 行って来た感想を書いてみたいと思います。
石井氏のことは本で読んで既に知ってはいたのですが、先日知り合いの方より「石井氏のところで治療を受けてきた。」「それで、なんかすごく気持ちよかった。」との話を聞き、ぜひとも連れていってあげたい人がいたのでその人と一緒に行くことにしたのです。
事前に話を聞いたところでは、予約は要らない、患者はベッドに寝ころんでいるだけ、先生は寝ている頭上あたりに立ち指を丸めて何やらする…、40分ひたすら寝てる。こんな情報でした。
 行って来ました。場所はJR山手線恵比寿駅から徒歩5分くらいのビルの一室です。
「石井鍼療所」の看板のはってある扉を入るとソファが置かれており、ここが待合室です。石井先生がひょっこり顔を出し「そこにある紙に自分の名前を書いて持っていて下さいね。」「あと、読みにくい漢字にはふりがなも…」
と、その付箋紙に氏名ふりがなを書き(私の名前はよく「うえむら」と間違えて呼ばれるのでちゃんと「かみむら」と書いた)待っていました。
診療部屋にはベッドが8床ほど並べられそれぞれがカーテンで仕切られています。
 先に私の連れのほうが呼ばれベッドに横になると、おもむろに先生は目を閉じ指を丸め、指先をクリクリと動かしています。「うーん、あなたの場合ね、仙骨のところでエネルギーがブロックされてますね。んー、この状態だと自律神経失調症になりやすくなるんだよねぇ。」そんな話を聞いていた私はビックリ!なんとその連れは実際に自律神経失調症なのですから… それになにも事前には先生のほうに症状を話していないのに…
「ふぅんすごい!」と思いつつ見ていると「ブロックを崩しますからね。」とまた指先をクリクリと動かしていました。「はいじゃゆっくりしていて下さい」とカーテンが閉められました。
 さて、私の番です。「上村さんね。んーあなたも仙骨のところでエネルギーがブロックされてますね。」「このブロックを崩すとエネルギーが流れるようになるので楽になるよ。」と。そうしているうちに何かいい気持ちになるんです。あったかぁい&心地よい感じがします。「はい、じゃまた後で少しします。しばらくゆっくりしていて下さい。」
そうするとさらに背中、腰、頸の後ろ、後頭部、肩胛骨内側がポカポカしてきます。「あー気持ちいい…」 そして特に凝りのひどかった部分の筋肉が勝手にビクビクビクゥッと動いたのにはちょっとビックリしました。そのまま40分程度只寝ているだけ。最後の2分くらいでまた指でクリクリをしていました。初診の人はポラロイドカメラで写真を撮るんだそうです。これは後で頼めば遠隔治療をしていただけるのだそうです。
 さて、治療後の感じなのですが、「体が軽い!」「凝りが取れてる!」と感激。何なのだろう?これって?と本当に不思議でした。2〜3週間後に再度受けるといいそうで、4〜5回でブロックがはずれるようです。
気持ちいい感じはしばらく続き足取り軽やかに帰路に就きました。
その人に合う合わないとかあるのでしょうが、私も私の連れも満足して帰りました。興味ある方はどうです?
<情報>
※名称変更と治療室が移転(2003/02/12より)しました。
「石井治療室」
東京都渋谷区恵比寿1-13-10 恵比寿壱番館601(恵比寿駅東口より徒歩1分)
火・水・金・土 10:00〜17:30 (休祭日休業)
TEL 03-3444-8684
P.S.先生の治療室では予約は要りません。

「石井鍼療所」 東京都渋谷区広尾1-3-14 葉山ビル7F (恵比寿駅西口改札より徒歩5分、めやすは渋谷橋郵便局の隣りです)
診療日(時間) 火・水・金・土 09:30−17:30

<付記>
石井先生のことが紹介されているページがありますので下記に紹介しておきます。
カルマを消す霊的治療の医学博士石井健之助

(99/09/30)

ページTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちの可能性について

 あなたの人生の「可能性」ってなんでしょうか?
そう尋ねられたら、あなたならどういう答えを出しますか? 「会社での出世は部長くらいまでいけばいいかな…」「幸せな結婚をして無事に子供を育ててゆったりとした老後を過ごして…」はたまた「宝くじで3億円をあてて左団扇の贅沢な暮らしているかも!」・・・
いろいろな光景、ビジョンが思い浮かんだことでしょう。ポジティブにしろネガティブにしろね。
あなたの頭の中に今浮かんでいるその光景は、現実にはまだあなたのもとにはやってきていませんよね?
あなたの考えは無限です。
可能性はそれと同じ数だけあります。つまり無限なのです。
 私は数年間勤めた情報関連の会社を今月9月いっぱいで退職することにしました。「この不況下の中、自分から会社を辞めるなんてバカのする事だ!」という意見もあるでしょうね。それに私は転職先も決まっていないまま。そうです、転職なんかするつもりもないんですから。
でも私はこれからの自分の人生が喜び溢れ、わくわくするものとなることを確信しています。不安なんかまるで無いんですよ。不安といえば”不安が無いこと”くらいでしょうか…(^-^;)
 私が会社を辞める理由はいろいろあるのですが、組織の中にハマって生きて、ストレスを感じ、人に評価されて、競争していく・・・・・・・・・・・・・・そんな毎日より、私が「今、この時」を大事にして、その中でもっとも楽しくなるように一つ一つ決めていき、人生を思いっきり楽しむことを選びたかったんです。
私の人生のすべてが私のやりたいこと…私の好きなこと…わくわくすること… それなら辛くないですよ。たとえ人が「さぞ辛く大変でしょう?」と言われたって。私は絶対に大丈夫!だって私が現実を創造するんですから。
私の人生で体験するすべてのことは、私が創り出しているんです。
ちょっとした視点の違いに気づくことは劇的な変化をもたらすこともあるのです。

「可能性」それは「無限」に存在します。

(99/09/12)

ページTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

治し方〜いろいろ

 今回は、気づきというより、何か伝えたいなと思ったことを綴ってみたいと思います。いずれも私が実際に経験し、治ったものです。
<水虫の治し方>
1.まずおろし立ての綿の軍足を2組、厚手のビニール袋を4枚、ペーパーナイフ(鋭利でないもの)、そして、竹酢酸液または木酢液を1L程度用意します。
2.軍足を履きましょう。そしてその上から厚手のビニール袋を二重にして被せます。
3.そこに竹酢酸液または木酢液が全体にまんべんなくかかるように注ぎます。
4.ビニールを足首のところで絞めて、待つこと90分。(かゆくても、ムズムズしても我慢しましょう!)
5.さぁ、90分経ちました。お風呂場で軍足を脱いでみましょう。
6.きっとあなたの足はふやけてブヨブヨになっていることでしょう。そこでペーパーナイフを持ち出し足の裏の角質をを重点的に(特に患部)こすり取ります。面白いように取れます。みるみるうちに自分の本当の肌があらわになってきます。
7.各部角質が取れたらよーく洗って今日はお休みなさい!
8.翌日、2〜7を繰り返します。
9.あなたのしつこい水虫も、きっと良くなることと思います。

<抜け毛の治し方>
私も「騙されたと思ってやってみて!」と下記の方法を実践してみましたが、あれあれ本当だ!今では嘘のように抜け毛が減っています。

簡単簡単!今使っている合成界面活性剤を使用しているシャンプー、リンスの使用をやめることです。その代わりに”純石鹸”を使うのです。
純石鹸は合成界面活性剤を使用していない、無添加の石鹸です。「えっ、石鹸なんかで洗ったらゴワゴワ、ギシギシになっちゃうよ!」と思われるでしょう? はい、そのとおりなんです!でもリンスを使えばなーんてことありません。もちろん、リンスも無添加ですよ。醸造酢を薄めただけで無添加リンスになります。(嫌な場合は製品が売っています。)
リンスを使えばギシギシ感も無くなります。
これを2ヶ月くらい続ければ抜け毛なんて嘘のように止まってしまいます(激減)。私は1年以上これを続けています。

きっと、個人さはあるのでしょうね。試してみて、かえってひどくなった!などと言われる方もいるかもしれません。
でも、責任取れ!と言われても、とれませんので悪しからず。あくまでもご紹介です。

(99/08/19)

ページTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸せな現実創造

  「幸せ」ってなんでしょう?「不幸」ってなんでしょう?
同じ体験をしても、人によってはその体験を不幸と感じて一生の心の傷としてしまうこともあるし、他愛のないことと一蹴してしまう人もいる。これは、まさしく意識の問題であって、考え方の角度の違いではないでしょうか?
 ポジティブシンキングとか肯定的に生きるとか、ニューエイジや精神世界では当たり前のことととらえていますが、人によっては違和感を感じる人もいるようです。私の考えとしては、今、現に起きている現実を前にして、”つまらない”と感じて生きていくよりも現実を肯定的にとらえ都合よく考えていく方が、否定的な思いをして「これが本当の現実なんだ!」「どうせうまくいかない…」などとネガティブな思いをして重苦しい思いをするよりもよっぽどいいのではないかと思います。
「ニューエイジの人々は現実逃避をしている…」「都合良く物事をとらえて現実を見つめない…」そんな意見もあるのでしょう。
これらの考え方にに何の徳があるのでしょう?考えてみて下さい。どちらが楽しいのか?
私なら、悲観的に生きるよりも、現実を肯定的にとらえよけいな悩みを感じていきない方が幸せだと感じますね。
 世界観も同じです。自分が体験できていることが世界の全てだと思う人も居るし、見えない世界もあったっていいじゃないか?と信じ世界観を広いスタンスで見る人もいます… すべてのことは、自らの捉え方の問題でしょう?
 人生の出来事全てを損得勘定で計れなどとは決して言っているのではありません。自分にとって幸せに近くなると思われるのはどちらでしょうか?

(99/08/02)

ページTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高次の自己からのメッセージ

 近頃、私自身何かに近づいている感じがひしひしとしてくる。本当の気づきというものに…
直感も良く理解できるし、これはハイヤーセルフ(高次の自己)からメッセージだ。
かつて感じたことのある、それも懐かしい感覚… 小学生時代、何の不安もなく元気に遊んでいたあの”わくわく”する感じだ!
 去年から「必ずどこかへ出かけるんだ」と意気込んでいた今年の夏休みの計画も、5月頃から計画しては立ち消え、また計画しては立ち消えというのを繰り返していました。なんでこんなにうまくいかないんだろう???と疑問に思っていた頃、HPを検索していて、普段は見ても興味を持つことはなかったセミナーが妙なくらい気になりだしたんです。それも、日を追うごとに… セミナー主催者にメールを出すことから始まり、電話での問い合わせをしたりと、どんどん惹かれていく自分を自分の事ながら少し気味悪く思うほどでした。今日は受講料の振り込みを済ませ、気分は落ち着き10日後を期待の中、静かに待ち受ける心境になっています。
 なぜかわからない、”確信”が湧いてきます。夏休みの予定が決まらなかったのもこのセミナーに出会うための決められた流れだったと…
そして、この気づきはレイキがもたらしてくれる効果だったんだと…
セミナーを受講する前からこんな気持ちになるのはとても不思議です。
 受講中または受講後の報告を順次していきたいと思います。

(99/07/27)

ページTopへ